手造り真空管アンプの店


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店主コラム 7月〜9月分


2005年9月19日
<シンゴ&アスカ>
アルゼンチンタンゴダンサーの名前である。ペアーを組まれているプロのタンゴダンサー。私の妻が何故か3年半前から急に趣味でタンゴを習い始め、このお二人にお世話になっている。最初妻がダンスを習いたいと言ってこのお二人のことを聞いた時、正直に言ってこのような職業を続けられていてすごいなという印象を持った。お二人はダンスをショーや舞台などで踊ることとレッスンをすることを生業としている。それも日本からはもっとも遠い国の文化のダンスである。これはすごいと思わざるを得ない。私は30年間サラリーマンを経験してきたけれども、そのなかで感じたことは仕事はビジネスということ。儲けなければ意味がないという理論である。常にそこには利益がなければ存続が難しいということであった。しかしこのお二人は話を聞いているとどうもビジネスという感覚や、儲けることは少なくとも一番のプライオリティーではないのだ。好きなダンスをすることが一番のようなのだ。それでも長い間この職業を続けられている。タンゴダンスを職業とすることは大変だ。常にペアで働かなければならない。どちらかがお休みすることは出来ないからだ。その為いろいろ犠牲にすることもあるようだ。私がこの個人事業を始めるに当たってこのお二人の生き方には少なからず影響を受けた。好きなことをすることを実際に行っている人達がいるのだという何故か安心感みたいなものに勇気付けられた。
 しかしこのお二人はそれだけではなかった。実はすごい人達だったのである。世界のトップテン以内に入るような実力の持ち主だったのである。昨年アルゼンチン国の主催でアルゼンチンタンゴの世界大会が行われた。日本でアジア予選が行われたがこのお二人は予選で落ちてしまった。日本の色々な事情が影響したらしい。しかし彼らは自費でアルゼンチンまで行き、再度予選からエントリーし見事決勝まで勝ち進んだ。決勝では敗れたものの、実力は世界レベルなのである。今年も日本での大会は2位と3位であったため、また自費でアルゼンチン大会に参加し今年も見事決勝まで勝ち進んだ。決勝まで進んだアジア人のカップルはこのお二人だけだった。向こうの新聞にも写真入りでトップで紹介される位の実力であったようだ。実力は本当にこの2年の大会で証明された。
 普段妻から聞いているお二人のシンプルな生活とこの実力。この裏に隠されている本当の実力を私は知らなかった。もしお二人がアルゼンチンに生まれていたならば、もっと大きい富と名声を得ていたかもしれない。最初は安易に勇気付けられたと思っていたが、そんな甘い認識では失礼な感じがした。
 仕事とは何だろう。食うためには儲けなければ意味がない。しかしただそれだけのことなのか。もっと自分の存在感をアピールすることも仕事にはあるだろう。このお二人の生き方を私が論評する資格はない。しかし仕事に対する自分の構え方におおいに考えさせられる。
一人で仕事をしていると弱気になることもある。しかし好きで始めた仕事は出来るだけ長く続けるようにしたい。途中であきらめない。そうすれば何か答えが待っているような気がする。
お二人のサイトをリンク集に載せましたのでご覧になって下さい。




2005年9月10日
 
<6L6GC ppアンプ改造>
このホームページに最近6L6GC ppアンプの改造記を載せた。私のアンプ製作の特徴であるアンプのバージョンアップが行える例であるが、これも私の気まぐれな部分もありいつも出来る訳ではない。
 これまで何台かのパワーアンプを設計してきたが、私の回路方針があり音は所謂”安井サウンド”みたいなところがある。しかし当然だが全て仕様が異なるので音が異なる部分もある。今年3月に設計したアンプを聴いたときこれまでと違った低音が再生されているのに気が付き、また気になった。何故だろう。当然回路は異なる、部品は異なるので当たり前であるが、それでも気になった。いろいろ調べていくうちに特性で一番異なっているのがD.F(ダンピングファクター)と呼ばれている特性だった。DF=8/出力インピーダンスで表される式で、数値が大きい方がよりスピーカーを制御する能力がある事を表す。この違いが音にどの程度影響するのだろうか。まずはスピーカー負荷でアンプを測定した。通常は固定抵抗(8Ω)で周波数特性を測定するが、実際のスピーカーで測定してみた。一般にスピーカーのインピーダンスは変動する。低域において下がり、共振点でまた上がる。高域も上がるのが多い。アンプの出力インピーダンスを変化させながら周波数特性を測ると、この低域のレスポンスがアンプの出力インピーダンスに反比例して悪くなる。これは当然である。これは何をあらわすかと言うと、スピーカーの周波数特性は通常非常に出力インピーダンスの低いアンプを使って測定され、周波数特性が測られフラットになっているが、もし出力インピーダンスの高いアンプでドライブすると周波数特性はフラットにならず、スピーカーのインピーダンスの変動に強く影響されてくることを表す。ここで測定したのは電圧値だから音圧にすると二乗で悪くなっている。さてでは実際スピーカーのインピーダンスはどのように変化しているか。
 これが驚いた。公称インピーダンスが8Ωであるのに200Hz近辺では4Ω台まで下がっているではないか。昔スピーカーの公称インピーダンスはそのスピーカーの最低のインピーダンスで表されていると本で読んだことがあった。今のスピーカーはまったく異なっており公称インピーダンスよりかなり下がったところまで変動している。これは今は半導体アンプを前提でスピーカーが設計されているからと推測されるが、真空管アンプを設計する私にとっては話が違うということだ。それは無いだろう。
 私が普段使っているアンプの改造から実験を始めた。方法はいろいろあるが簡単な改造でできる方法をとった。負帰還量を増やすことと、たまたまカソード負帰還ができるトランスだったのでそれを採用し、最終的にDF値を21以上までアップした。真空管アンプにしてはかなり大きい値だ。(改造前はDF=6だった)
 音はどうか。予想したとおりこれまでにない低音が得られた。ドンからズンにより近づいた。歯切れもよくなった。DFを改善したことにより低音が改善された。現代スピーカーをドライブするにはそれなりの設計をしなければいけない。DFだけが低音を決めるファクターではないことは分かっているが、スピーカーの設計が変われば、アンプの設計もかわらなければならない。今回は良い教訓が得られた。
 また今回の実験で新しいDF測定法を考案した。一般的なON/OFF法、あるいは注入法では今のスピーカー特性の実情に合っていないからだ。暫くこの測定法でアンプの評価を行い、測定と音との相関を取ってみたい。スピーカーのインピーダンス変動については偶然ではあるが今発売されているStereo sound誌に元テクニクスのエンジニア石井伸一郎氏も同じような記事を書かれていた。興味のある方は読んでみるのもおもしろい。
 以上のような経緯から表題の6L6GC ppの改造を実施した。これはお客様のアンプであるが、良いものはどんどん取り入れたい。当然有料だが。結果はお客さまには満足していただけた。このときが一番うれしい。こだわりのあるアンプを造りたい私にとっては、お客さまが喜んでいただけるのが最高だからだ。




2005年8月31日
<続 オーディオとの出会い>
今回からコラムのタイトルをつけることとしました。内容は前回の続きです。

 高校生の時初めて作ったアンプが完成した時は大変感激した。季節は冬だったと思う。夕方アンプの電源を入れ、最終的にスピーカーから音が出てきた時はもう興奮状態だった。今でも同じであるが実際初めてアンプに電源を入れる時は緊張する。電源を入れた瞬間煙が出ないことを確認し、ヒーターが点き、そして信号を入れスピーカーから音を出したと思う。(今ではこんなことはしないが)音の出た瞬間は遂にやったという気持ちが高ぶっていた。夕食前で親にすぐに報告に行ったように記憶している。このアンプは少し発振気味で、その直し方が分からずNF(負帰還)抵抗を変更して対処し、その後社会人になるまで使い続けた。今となっては音はお粗末だったかもしれないが、自分で設計したこの世唯一のアンプであることに満足し、楽しんでいられた。大学生時代はアンプの大きな進展は無かった。貧乏学生で生活費と交際費(付き合い)でオーディオまで金が回らず、FMチューナーを買った程度で、耳学問だけがしだいに肥えていった。
 就職は最初からオーディオを希望して試験を受けた。幸運だったのは技術面接試験で面接者がオーディオの部長さんだったからだ。面接では卒論の話は一切出ず、私のアンプとスピーカーの話だった。私も好きな分野なので調子に乗り面接していたと思う。こういう幸運があり配属がオーディオに決まったときはこれも天にも昇る程のうれしさだった。実際仕事場に配属されて一番感激したのが、部品が自由に使えることだった。たくさんの抵抗・コンデンサー類が自由に使えるうれしさは自作をした人にしか分からない。今でもそうだが使った部品はすぐには捨てない。ほとんどとっておく。何かの実験などで使うのだ。この部品が自由に使える環境でオーディオをいじれるのだから楽しくて仕方が無い。それでも一年目は自分の実力の無さに愕然としたものだ。初めて国内向けHiFiアンプを設計した時も楽しかった。プリアンプの設計を任され、新しいトーンコントロールの設計をしたが、特殊ボリュームの設計に当時やっと世に出たTI社のプログラム電卓を駆使して設計した。(当時コンピューターは自由に使える物ではなかった)。世に出たアンプも雑誌で賞を頂き、これが私の大きな自信につながった。その後アメリカ向けのレシーバーなども設計したが、私の心の中では次第にデジタルに興味が移り、オーディオから興味が離れていった。
 そして今から十年程前、私の実家が改築することになり、高校生の時に設計したアンプを捨てる話が持ち上がり、それが発端で自分のアンプを引き取ることにした。これがまた私の2番目のオーディオ熱を作るきっかけとなってしまった。「今度はプロの目(技)で真空管アンプを作ってみよう。」これが動機だ。作って聴いてみると長く聴いても疲れない。それまでジャズを主に聴いていたが、何故かクラシックが好きになってしまった。歳のせいもあるかもしれないがアンプの影響も少なからずある。真空管アンプで聴くとクラシックが楽しいのだ。これがきっかけでスピーカーもJBLからB&W ノーチラス805に替え、スピーカーを替えるとアンプを設計し直しこれが続いている。そしてこの趣味が人様に真空管アンプを作って差し上げた時、喜んでいただけるようになり、それが今では仕事になっている。真空管は昔と変わらないものだけれども、私の回路の考え方は昔と大きく変わっている。それを新たに生かしてみたいと考えている。昔から好きなことなので苦にならないし、また人様に喜んでいただけるのも最高なのだ。
 私の人生の中でオーディオに関するトピックが幾つかある。中学生で初めてHiFiというものを聴いた時、高校生でアンプを自作した時、社会人でオーディオに配属された時、そして会社を辞めアンプ造りで独立しようと決心したとき。今思うと若い頃触発されたことが運良くここまで続いているものだなと感心する。今は昔の気持ちをふと思いだしながら設計をしている。

2005年8月22日
今回はオーディオとの出会いについて話をしたいと思います。
私がオーディオというものに出会ったと自覚したのは中学3年生の時である。音楽に興味が湧いてきたころ、同級生のA君の家に遊びにいった時にそれは起こった。彼のお兄さんが真空管アンプとスピーカーボックスを自作しその音を聴かせてもらった時だった。すごい低音でそれまで聴いたことのない音で鳴っていて、その音に圧倒されたのだった。それまで我が家ではラジオに毛のはえた程度の装置しかなかったので、A君の家で聴いたその音に本当に衝撃が走った。後で思えばこれが私の人生を決めてしまった出来事になってしまった。確かクリスタルピックアップという出力の大きいカートリッジにパワーアンプを繋げ、パイオニア製のスピーカーを鳴らしていたと記憶している。こんな昔のことも良く覚えているものだ。またこのとき初めてHiFiという言葉を知った。そのお兄さんはアマチュア無線も楽しんでおり、その音も聴かせてもらったがノイズばかりの声で私にはまったく興味はなく、HiFiという音に魅せられてしまった。
その後このA君お兄さんから電気のことが書いてある本を借りて一生懸命読んだ。今でも覚えているが赤い厚表紙の本であった。それまで子供の科学と模型電車の本しか読んだことのない中学生が基礎もなく電気の本を読んだ。良く分からなかったけれど何故か面白く一生懸命読んだ記憶がある。何時かは僕もアンプを作って音楽を聴いてみたいという気持ちが大きく広がっていたからである。高校生になりそれは実現した。高校ではブラスバンド部に所属していたが同時に物理部にも所属した。アルバイトをして小額のお金を貯め、当時まだ真空管テレビがまだあった時代だったので近所の電気屋さんから中古テレビを貰い、そこから真空管、パワートランス、チョークなどを流用し少ない費用でアンプを製作した。いきなり6RA8ppのアンプを作ることになった。今この真空管は秋葉原ではほとんど見受けられず幻の球になっているが、当時は最新の3極管だった。物理部の仲間と初めて秋葉原に来て部品を買うときは楽しさと怖さがあった。田舎の高校生にはちょっと気後れするところだったからである。このとき母から言われて靴の中に帰りの汽車賃(当時このように言っていた)を忍ばせていたが、その位緊張する場所と思っていた。その後、運良く父の知り合いの理科の先生が同様に真空管アンプを趣味で作られていたので回路設計の添削をしていただいて、アンプを設計してこのアンプが完成した。同時にスピーカーボックスも父が知り合いの建具やさんに作ってもらったので遂に自分のHiFi が聴けるようになった。     (続く)


2005年8月10日
このコラムを書き始めたが慣れてないせいか、なかなかネタを探すのに苦労をする。前回まで店についての内容だったので今回は私自身のことについて記述することにした。今回は音楽と私について。
私と音楽の出会いは父親の影響を多く受けている。父は昔アマチュアバンドをしていたらしく、当時はアコーディオンやギターなどをやっていたらしい。また私が小さいころ、我が家でバイオリン教室を開いていて、先生を呼んでお稽古場所を提供していた。そのため小さい時からバイオリンの音は馴染んでいたし、実際小学生低学年の頃はバイオリンをやらされていた。(好きで習っていた訳でなくいやいや習っていた。)また私の先生が何故か父親であり、素人の教え方でいやいや受けていてうまくなる訳がない。そんな環境であったため音と楽器は近くにあり、私の兄弟は皆バイオリンを習っていた。高尚な環境ではなく田舎の音楽好きの親父のお遊びと思っていただければ良い。小学校高学年になると親への反発もあり音楽は嫌いになり、もう音楽はいやと思っていた。中学に入る時には音楽部だけは避けていた記憶がある。しかし当時多くの若者がそうであったように、ビートルズ、ベンチャーズという新しい音楽に触れてしまった時はまた音楽好きになってしまったのである。兄の影響もあり、中学でギターを始め、高校は何とブラスバンド部に入るという音楽好きになってしまった。このときはサックスを担当していた。その後お遊びでエレクトーン(姉の影響)やフルートもいじったが、この表現が正に合うようにいじっているだけで人様にお聞かせできる楽器は今は何一つない。ただ今考えてみると、小さい頃受けたこれらの環境が今の私の人生に大きく影響しているのは事実である。社会人になるとき、オーディオの仕事をしたかったのも音楽好きだったからだし、またいま会社を退職し一人で真空管アンプを作る事業ができるのも音楽が好きだからだ。今若い人が職を探すより自分を探している現状をみていると、私には幾分理解できないことがある。好きなことは無いの?
私が両親から受けた音楽はまったく飯の種にはならないものであったけれど、その後私に残った音楽好きだけが人生に影響し、今に至っている。これには感謝している。



2005年7月29日
前回しましたロゴマークのお話を引き続きします。
マルの中に4本の線が描かれていて、色はオレンジです。これでMYと読ませます。実際には小文字のmyのイメージで最初の3本の線が小文字m、後2本の線が小文字yを表し、mとyが重なったデザインです。
さて前回の宿題(?)で真ん中の2本の線の途中が何故切れているかについて説明します。皆さんは回路図で真空管のシンボルはご存知でしょうか。多くの方はご存知無いと思いますが、真空管のシンボルはマルの中にプレート、グリッド、カソードと呼ばれる内部の構造を表すシンボルが実線と点線で表されています。その真空管のシンボルとロゴマークを絡め、ロゴマークでは最初の実線がプレート、真ん中の点線2本がグリッド、最後の1本がカソードのイメージにしています。真ん中2本の線が途中で切れているのはロゴマークを真空管のシンボルのイメージにしたかったからです。またオレンジ色を採用したのもやはり真空管といえばヒーターから発光されるオレンジ色が特徴ですから、このロゴマークはMYと読ませると同時に全体が真空管を表しているロゴマークになっています。
どうですか?前回と今回このコラムを読んでいただいた方は、少しは楽しんでいただけてもうこのロゴマークは覚えていただけたと思います。これからもロゴマークとMYプロダクツという名前を覚えていただき、真空管オーディオの世界で関心を持っていただけるようにしたいと思っています。


2005年7月19日
先週このHPを立ち上げましたら、知人、友人からは励ましのメールをいただきました。大変ありがたいことです。さて今回は屋号(商号)の話をします。
屋号はMY(エムワイ)プロダクツと読みmy(マイ)プロダクツとは読んでいません。実はこの名前の発端は私ども夫婦の名前のイニシャルから取っています。事業を始めるにあたり家族の協力なしには運営できません。実際店主が運営しているのですが、屋号には家族の気持ちも表すようにしました。またお気付きのように、オーダーメイドのアンプはそのお客様お一人のための製品ですから、お客様ご本人にとってはmy productsになりますのでその意味も含まれています。ロゴ【MY】は大文字にしエムワイと読んで頂きたいという気持ちの表れです。是非MY(エムワイ)プロダクツと読んで下さい。
もう一つ、マルに4本線のロゴマークもお気付きかと思いますが、MYと読んでいただけますか。これがMYプロダクツのロゴマークです。今後若干寸法等変更するかもしれませんが基本はこれです。
ところでこのロゴマークの真ん中2本の線が途中で切れていますが何故か分かりますか。
これが分かる方はかなりの真空管通です。
次回お話します。

2005年7月10日
初めまして。
この度完全手造り真空管アンプの設計・販売事業を始めました。
真空管との出会いは中学時代に遡ります。この出会いが私の人生の方向を決め、これまで電気メーカーで30年間エンジニアーとして働いてきましたが、この度私の原点である真空管アンプの設計・販売事業を一人で立ち上げました。これまで培ってきた技術を真空管アンプに生かし、皆様の音楽ライフのお役にたてれば幸いと思っております。
このホームページも初めて作ってみましたが、如何でしょうか。
皆さんとこれから楽しんでいきたいと思います。宜しくお願いいたします。



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