オーダーメイド手造り真空管アンプの店

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<2011年を振り返って> 
 2011年12月21日 

もう今年も師走を迎えた。
 今年を振り返ってみると、やはり東日本大震災の影響が大きく残る。被災した方には失礼な言い方になってしまうが、千年に一度起こるようなこんな大地震・大津波を私が生きている時に経験するとは考えもしなかった。さらに原発事故も重なってこんな悲劇が起き、大変な一年になった。私の知り合いの中にも、その親族が震災・津波の影響を受けた方もいて本当に悲痛な出来事だった。
 世界も大きく変化している。北朝鮮の金正日総書記の死亡が伝えられたし、ちょっと前まではユーロが破綻するのではないかというところまで追い込まれた。またエジプト・リビアが民主化になり、アメリカ軍もいよいよイラクから撤退だ。今は世界中で不安定な要素がいっぱいで、我々の生活にも何らかの影響してくる今の世の中は大変だ。これでは経済が良くなる要素などまったく見当たらない。
 またアップルのスティーブ・ジョブズが亡くなったのも驚きだった。
 今年は大きな事件が多いなあ。
 来年はもっと明るい話題が増えればよいが。期待しましょう。

私はどうだったかといえば、直接震災の影響も受けず、まずは家族も無事に過ごせたのを感謝しなければならない。そして震災後は少し気持ちの変化が表れたかもしれない。自分の年齢の影響もあるが、残された時間はいつまでもないなという気持ちが起きてきた。だから今まで手を付けないでいたことを実行しようとしている。これまで手を付けてなかったEQアンプの設計もやっと始めた。それもヘッドアンプ付きのバランスアンプで、造るなら最高の物という気持ちで設計している。どんなものが出来るか楽しみだ。チャレンジなくして自分の気持ちに満足は得られない。

震災後の映像を見ると、真空管アンプを造っていることに意味があるのかと考えることがある。しかし、今の自分にはこれしか出来ない。だから人のマネをしないアンプを造ることが意味のあることになると自分に言い聞かせている。

今年もこのコラムを読んでいただきありがとうございました。


 
 <配線の音>
 2011年12月11日 

前に6550アンプの配線を変えて音質を向上させたことを書いたら、あるお客さまから「そこまでするんですね」みたいなことを言われた。配線で音が変わることを説明するのは難しい。それは大きな変化なので聴いてもらえれば直ぐに分かることだが、「何故?」と言われると説明が難しい。一般の測定ではその差が表れないからだ。今回はこの配線について書いてみたい。
 一般に回路を設計して具体的に部品をつなげていくことが配線なのだが、この配線の仕方により性能は変わるし、音質も変わってくる。配線の仕方にもグレードがあるように思える。アンプで言えば次のようになるか。
 1、最低すべての回路がつながっていること。これは最低の条件だ。
 2、ハムなどノイズが出ない配線。
 3、回路が安定になる配線。性能が良くなる配線。
 4、音が良くなる配線。

この番号は次第に配線のグレードが上がってくることを示している。1これは最低回路が動作しなければならないので必須。2は初めてアンプを組んだことのある人には経験があると思うのだが、ブーンとかジージーというごく僅かだが、スピーカーに耳をつけると聞こえるノイズが出ることがある。これは配線で2点アースになっていたり、入力信号ループが大きい場合などに発生する。3はさらに複雑で回路の入出力の信号が電磁誘導なので特に高域でつながり歪や安定性に影響する場合がある。入力と出力の信号の大きさは大分違うので出力信号が入力に戻らないようにすることが重要になる。4になるとさらに回路の電流の流れまでもすべて明確にし、各増幅段の信号はもちろんアンプ全体でも電流の流れを明確にしお互いが影響されずに安定して信号を増幅するように配線する方法だ。これはグランド配線における共通インピーダンスの影響をできるだけ下げるといっても良い。ただこの配線の仕方は測定でデータが得られないので今のところ音で判断するしかない。またこの配線法を私はEGW法と名づけている。
 以上のように一口に配線といってもいろいろその影響をどこまで考慮してするかにより、配線の考え方が大きくかわる。今回6550アンプでの配線変更は4番にあたる改良で、これが音質に大きい効果が得られたことになった。特に今回は以前から進めている電源インピーダンスの改善した後での効果はすばらしい。

 あまり配線の評価というのは言われない。一般的には配線の美しさくらいだろう。見やすい配線、すっきりした配線というのが好まれるようだ。私の配線はそれほど美しくない。まず回路が少し複雑なのも原因だが、配線の影響を考慮していくと簡単に近くの線につなげれば良いというわけにはいかず、少し配線も複雑になってしまう。またよく線材を丁寧に結束糸(バンド)で束ねる配線も見受けられるがこれも良く考えて結束しなければ性能を落としてしまうから、私はあまりやらない。特に気を付けなければならないのが、大きな信号と小さな信号を結束したり、汚い信号ときれいな信号を結束したりしたら性能(音)を悪くしてしまう。

 あ、話が長くなってしまった。今回はここらで終わりにします。

 
<人間ドック> 
 2011年12月1日 

先日年一回の人間ドックを受けてきた。今は個人事業主だから会社の費用で人間ドックを受けられることもなく、自腹で受けなければならないが年齢を重ねるとすべてが健康体ではいられず、やはり最低年一回のチェックは必要と考え受けている。今年もその時期がきた。今は検査数値がすべて良い訳ではないが普段の生活に支障もないし、薬の世話にもなっていないのでまあ健康体といえるであろう。
 40歳過ぎころから会社から強制的に人間ドックを受けてきて、いつも注意をされていたのがコレステロールである。コレステロール値がいつも基準値をオーバーしていて医者に注意を受けてきたのだが、いつも基準値には収まらない。会社を辞めてストレスが減り、コレステロールも減るかと思っていたらまったく減らず、むしろ年齢とともに増加していたのが現状であった。コレステロールの治療は薬の投与の前に食事療法が勧められる。これもトライするがなかなか効果が表れない。3,4年ほど前にビールと食後のデザートを減らしたら中性脂肪が減り、体重も落ちこれは基準値に収まったのにもかかわらず、総コレステロール値は相変わらず高いままで、なかなか食事だけでは効果は表れない。いつもコレステロールというのは気にはなるのだが、どうもこれはもう自分でコントロールはできないのだろうと思っていた。今年になり本屋で見つけた林洋著「嘘をつくコレステロール」という本をみつけ読んでみた。ここに書かれていた結論は食事療法では個人差もあり効果は少なく、薬に頼るしかないという、製薬メーカーよりの結論になっており、これが事実かどうかは別にしてこの本を読んだ以降はもう食事療法でコレステロールを下げることはあきらめた。コレステロールを下げるためにおいしくない食事をしていくのは何のために食べているのかが分からないし、この先それでどれだけ長生きして人生面白いのかと。それより美味しいものを食べて、薬でコレステロールを下げようと思っていた。
 今年の人間ドックの結果をみて、もう医者に相談して薬をもらおうと考えていたのだが、ところが受診の結果が思わぬ方向に行ってしまった。結果が総コレステロール値もLDLコレステロール値も共に大幅に改善されていたのだった。これはまったく予想外の結果になってしまった。もう諦めていたコレステロールが大幅に改善され、ドックでの検診でも何も言われないで済んでしまった。また基準値まで届いていないが大きく改善されたのである。これまでコレステロールが改善されたという記憶がまったくないのに改善されている。もう諦めて食事は以前と変わらずむしろ肉の量は多いと思っていたのだが、何が効いたのか数値が良くなってしまった。実は女房も改善されたのである。
 この結果を女房と話しているのだが、食事で変化点を探してみると、食事の内容より食べ方が変わったことだ。それは食事の最初に野菜サラダを食べることだ。これはTVの「ためしてガッテン」という番組で老化を防ぐ食べ方として紹介されたものだが、これは食べ方が変わるだけで特に食事に変化をもたらすものでないため、我が家でも取り入れてみたのだが、これは半年くらい続いている。この方法がコレステロールに効いているかは定かではない。
 諦めていたのが逆に良くなってしまうという良い意味での皮肉な現象だ。これからもう一年この食事方法を続けていけば来年その効果が分かるかもしれない。
 ところで、他にも改善された項目がある。それは視力である。私は近眼で普段眼鏡を必要としていて、また老眼も進み今は遠近両用眼鏡を使用している。これは近視レンズ部分の度を下げており、遠くは少し見えにくくなっているレンズなのだが、今年の近眼検査で0.3も改善されていた。最近遠くが良く見えるなとは感じていたがそれが数値として表れた。これも原因は分からない。これもこれまで良くなることはなかったのに。

 私の受けた今年の人間ドックは検査の数値に間違いがあったのかしら。


 
<東福寺庭園> 
2011年11月21日 

先月京都に行ってきた。旅に目的をつくる必要はないと思うのだが、あえて付ければおいしい物を食べることと、京都の庭を見ることにあった。女房の母親が80歳を迎え、今でもお元気で健啖家でもあるので、普段食べられない京都の美味しい物を食べに行こうと計画した。それに加えて以前東福寺がTVで紹介された時、重森三玲(しげもりみれい)の庭というのが紹介され、特にコケと石の市松模様の庭が印象に残り、是非見たいものだと思っていたのでそちらも訪問した。

 京都には伝統のある素晴らしい庭がたくさんあり、これは京都以外では見ることのできる場所はない。最初桂離宮の予約を試みたのだが抽選にはずれ、これまで何度も予約を試みても見ることができない。どうも外国人には優先的に参加は認められるらしいのだが、我ら日本人にはなかなか割り当てが少ない。京都に着いてからも修学院離宮を再度申し込みしようとしたのだが、あいにく時代祭りとぶつかりこちらも見学ができなかった。まあこれらの宮内庁が管理した庭が見られなくても、他に素晴らしい庭は京都にはある。そのひとつが東福寺の庭園であった。昔東福寺には訪れたことはあったのだが、庭を見た記憶がなく、数ヶ月前にTVで放映されていた東福寺の方丈庭園をみて再度訪れてみたい気持ちになった。
 TVで特に印象に残った庭のデザインが前述したとおりのウマスギゴケと四角い敷石が市松模様に配してある庭であった。これをデザインしたのが重森三玲という人で、近代の作庭家であり今回この庭を見ることができた。庭に詳しくないが、石とコケの市松模様というのがいかにも近代的という印象で、昭和13年の作庭らしいのだが鎌倉時代創建の寺とまったく違和感なく景色に溶け込んでいた。この寺では1時間くらいはのんびり時間を過ごしたかもしれない。時期がまだ紅葉には早すぎ来訪者も少なく、寺でのんびり庭、木々を観る時間は普段の生活から離れた別世界であった。後で聞いた話だが、11月になってこの寺を訪れた人の話によると、もう紅葉の季節でたくさんの人が訪れ、行列になっていて止まるこが出来ず、ゆっくりそこで時間を過ごすことは出来なかったそうだ。
 東福寺以外では今回智積院(ちしゃくいん)の庭も見てきたのだが、私の好みでは東福寺に軍配が上がる。

いつも京都の庭でうらやましく思うのだが、このウマスギゴケが欲しい。大きくてふわりとした感触で見た目も豪華だ。我が家の庭にもいくらかコケがあるが、京都のとはまったく異なり、見劣りするコケだ。できたらこのウマスギコケを庭一面にはやしてみたい。横浜で育つことが出来るのだろうか。

京都の楽しみはたくさんある。おいしい食事が旅のグレードを上げてくれるのは当然でまず美味しい食事が最初として、次の楽しみとしては庭も面白い。三玲の庭は他にもあり次に行くときにはこれを中心に計画をたててみたいと思っている。


東福寺にある重森三玲作の庭

 
 <6BQ5ppU>
 2011年11月11日 

前回6BQ5pp(UL)アンプについて書こうと思っていたのだが、筆が別の方向に走ってしまい、アンプ自身については書けないままになってしまった。こういうことはよくある。キイボードを打つ指のままに文章を書いているので、最初からこういう文章を書こうと思ってなく、ただ筆(指)を進めて行くだけである。だから最初書こうと思ったタイトルとは違った文章になることはよくあることだ。筆(指)任せでの文だから予定外の方向に進んでしまう。それに文章も一度書いたら書き直しなどはほとんどしない。今も勝手に書いているとまたアンプのことを書くことを忘れてしまいそうなので、ここらで話を戻すことにする。

 今回設計した6BQ5pp(UL)プリメインアンプは素直な特性のアンプに仕上がった。何が素直かというと最初に組んだ回路でほとんど直すことが無かったことだ。位相補正も最初に決めた値のままで直すところがなく、安定した動作が直ぐに得られた。当然特性も十分だった。また音質も直すことがなく、こんなに手間もかからない素性の良いアンプは初めての経験になった。前回にも書いたがアンプを造るたびに得られることがあるのだが、今回も得られることがあった。いきなり良い音で鳴ってくれたこのアンプは柔らかく、細かな音が再現され、かつ伸びが良い。こんなに素直に音が出てくれてうれしかったのだが、私としては何か釈然としない感じがした。これまでも同じようにアンプを設計しているし、またこのアンプは私がリファレンスとして使っている6550ppのアンプより好ましい音をしていたからだ。6550ppアンプの方が特性は上だし、部品も高級なものを使用しているのに今回のアンプのほうが良いなんて、何が違うのだろうか。これはアンプを納入した後からずっと考えていたのだが、最近この原因が分かった。その原因は配線だった。私はアンプの配線法をEGWと名づけて決まった配線法をしているのだが、造るアンプがすべて異なるので、回路、部品、レイアウトの違いからまったく同じ配線にならないことがある。それが今回の音の違いとして良い方向に表れた。結果としてわずか数センチの配線の違いなのだが、これが大きな音の違いになって現れた。この数センチのグランドの配線の接続の違いによって、電流の流れが変わり音に影響していた。この6550アンプの最初の設計はもう10年以上前の設計、配線で、それを次々改良を重ねてきたのだが、細部のグランド配線でまだ改良がしていない箇所が今回見つかったのだ。その結果この6550ppの音は、今度は当然6BQ5ppを上回る音質になった。これまでのアンプで最高の音と言って良い。6BQ5ppを設計したお陰で6550ppの欠点を見つけることが出来たし、EGW配線を厳密にするやり方も確立できたし、EGW配線の音への貢献も確かめることができた。今のアンプはアンバランス回路ではかなり完成度は上がってきた。さて次は何をしようか。

 先週、インターナショナルオーディオショウに行ってきた。毎年行くようになると、びっくりする音に出会うこともなくなり、我が家より当然良い音を出してくれる装置はあるけれど、値段はびっくりするような値の装置だし、何を比較してよいのか分からなくなる。それにデモも耳ざわりの良いボーカル系が多く、もっとオーケストラやクラシックのピアノ曲で再生の難しいソースのデモして欲しいと思って帰ってきた。
 何が頂点なのかまだ分からないままアンプとの格闘はまだ続く。

今回設計したアンプの特性図を載せました。

 
 <6BQ5pp>
 2011年11月1日 

昨日6BQ5ppを納入した。アンプを設計していると日々技術も進化しているのでいつも新しい発見がある。今回もまた新しい発見があった。これは技術的なことだけではなく私のオーディオの商売についても考えさせられる出来事があった。
 まずは技術的なことについて。アンプ設計は日々進化していることは述べたが、今回も新しい発見があり、どこが到達点になるかが分からない。今回は6BQ5ppのプリメインアンプを設計した。お客さまとのメールでの打ち合わせで、出力、価格、使われているスピーカーなどから私が提案して設計したものだ。これはいつもの設計方法と変わりはない。その仕様を私の最新技術でいつも設計している。なかなか同じアンプを2度設計することはなく、どこかが少しずつ変化しているからその都度新しい発見がある。今回もお客さまのご使用や価格にあった回路、部品を選びまた技術的には電源、レイアウト、配線などこれまでのノウハウをすべてつぎ込んで設計している。こうなるとまったく同じ設計、アンプなどということにはならずに設計される。今の条件では最善と思って設計していて、最後に音でどのように再現されるのかが結果として表れる。
 今回は性能的にも音質的にも満足できるアンプができたと思っていた。我が家で聴いているとレベルの高い音を再生できた。まだ上のレベルはあるが、部品や出力などから考えると上位レベルの音と思っている。6BQ5でも結構いけるなという印象である。

 さて、こんなアンプを持って勇んでお客さまに納入した訳だが、お客さま宅での音の印象は異なるものになってしまった。私のイメージとは異なる印象になってしまった。これが今回の発見である。この違いの理由は正確にはつかめていない。このお客さまのスピーカーはご自分でエンクロージャーを設計、製作されたものを使用している。お客さまはいろいろ音の調整をしておられ、その中で今回MYプロダクツのアンプを選んでいただいたのだが、まだそれが音の解決に至っていないというのが最初の印象なのだ。これは私にとってはちょっと考えさせられることだった。音を良くしたいために折角私のアンプを選んでいただいたのに、まだ解決に至らなかったことに少し責任を感じてしまったからだ。アンプそのものには前半に書いたようにレベルの高い音のアンプと思っていたが、お客さまのところではそうなっていない事実にどう対処したら良いのかどうか。アンプ設計者としては良い製品ができ、それを納入したからそれ以上の責任はないと思えるのだが、どうも私の気持ちのなかではスッキリしない。

 スピーカーエンクロージャーの設計も難しい。音がアンプ以上に変化するであろう。私はスピーカー専門ではないが、少しアドバイスを与えることにした。少しでも役に立ちそうな文献やサイトを紹介した。私もかつては(高校生の時)は自作のボックスで悦に入っていたから、それがオーディオのスタートだったからだ。このお客さまはまだ若いし、今時自作を楽しむお客さまとは「がんばってるな」と思い、少しでも私のアンプが良い音で鳴ることを祈って、できることを手助けしてあげたいと思っている。

 
<つながり> 
 2011年10月21日 

サイトを使って商売をしているといくらかの接点が世間とあり、一人で仕事をしているとこれが励みになる。今日メールを開けたら、久しぶりに元の会社の友人から連絡があった。今は中国に単身赴任しているが時々MYプロダクツのサイトを読んでいるとのことであった。以前にも同じように中国に赴任されているお客さまから問い合わせをいただいたことがあった。このメディアを通して、今では当たり前のことだが遠い外国でも直ぐに私の情報が伝わり、また逆もくる。私は家でアンプ造りをしていても、HPを通して誰かと接点を持てることはありがたい。これはHPだけの話ではなくアンプを通しても同じことが言える。これも昨日のことだが、以前私が設計したアンプをお使いになっているお客さまからお褒めの言葉をいただいた。メーカー製の高級アンプよりいい音がするとのことで、こんな嬉しい話はない。僕にとっては最高の喜びであった。

商売はもちろん儲けることが大事であるが、私のような商売は大儲けするほどの規模ではないし、それよりお客さまとの接点を楽しむことの方が重要だ。喜んでいただける方が重要なのだ。だからといって安く売るということではなく、こんな音聴いたことがないという真空管アンプならではの製品を造って喜んでいただくことが重要なことだ。

ダイヤモンド社の資料によると今の日本人が必要としているものの調査では
1位が「人とのつながり」2位が「お金、経済力」3位が「時間のゆとり」だったそうだ。震災の影響もあるのかどうかは定かではないが、今の日本人は「人とのつながり」が「お金」より優先している。私の商売も同じだ。人とのつながりはこの場合お客の満足に通ずる。
 アップルのスティーブ・ジョブズの仕事ぶりを聞くと、日本の経営者と違い、コストより製品そのもの、如何にお客さまが驚くか喜ぶかの視点で造っていて、それが結果的に売れ人気が出ている。アップルと比較するのはおこがましいが、私の商売などもよりお客さまの喜びを反映できる商品造りが大切ではないか。先ほどアンプを褒めていただいた方は私がお客さまの環境(好みや装置)を見てそれに合ったアンプを作ってくれるのがありがたいと言ってくださった。やはり量産製品にはない、お客さまに合った物造りが大切のようだ。

 人とのつながりはあるときにはわずらわしくなることもある。しかし人とのつながりを大切にしながら、相手の思いを満たせるような商売をしたいと思っている。

 
<アップルコンピューター> 
2011年10月11日  

先週の大きな話題はアップル社の元CEOスティーブ・ジョブズが亡くなったことだろう。一企業の経営者がこれほどまでに一般人から惜しまれることは稀であろう。それほど彼の業績は今の生活の中に入り込み大きな影響を持っていたことの証である。
 私は同じ時代を生きてきて彼がコンピューターを通して発信してきたことを最初から経験できたことから考えると、何かその時代が終わったという感じがしている。

 私がアップルと最初に出会ったのは確か1980年のラスベガスのエレクトロニクスショウだったように記憶している。アップルのブースにAppleUだったと思うがカラーのデモソフトを動作させ展示してあった。そこには多くの人が詰め掛けており、すごい活況を呈していた。当時家庭用コンピューターでカラーグラフィックスの出る機械はなかったのである。巧妙なハードウエアで色の制限はあるがカラーグラフィックスが出るコンピューターは大きな衝撃であった。その後82年ごろこの個人用にこのAppleUを自分で組み立てて遊んでいた。当時AppleUの海賊版が販売されていて、基板は秋葉原のロビン電子という店で入手でき、CPUの6502、RAM、ROMを買ってきて組み立て、AppleUそっくりのケースも売っており、それに入れて遊んでいたものだった。ただこの初めてのコンピューターで遊んだお陰で、I/Oの概念などが理解できコンピューターと外部機械とのインターフェースが繋げるようになり、ハード、ソフトの両方でも理解に大いに役にたった。その後Appleはマッキントッシュという革新的な製品を出しこれが今でもまだ名前が残っているくらいコンピューターの概念を一機に変える製品を出してきた。私にはこれは高くて買えず、その後安い製品のクラシックUという製品を使ってきた。当時会社でもまだAppleの製品を使っていたので、家庭も同じメーカーのほうが役にたっていた。この革新的なマッキントッシュの高度なソフトを開発したビル・アトキンソンに仕事で会えたのも思い出に残る。こちらからすればコンピューターの世界的なエンジニアーにデモが出来たのを今では光栄に思っている。OS9を少し勉強したのもこのころかも知れない。またサンノゼ近くのApple社屋にも仕事で訪問したこともあった。
 その後会社のコンピューターがすべてWindowsに変わり、そのため我が家のコンピューターもWindowsに変わってしまった。仕事でもソフトがWindows仕様になってしまったからその対応で我が家も変わってしまった。会社を辞めた今はまたmacに戻っている。

 今の若い人は昔のApple製品ではなく、ipod,iphneあたりから親しんできていると思う。それでもあまりにもその製品の使い安さ、便利さにまるで中毒患者のように生活から抜けきれないほどの必需品と感じて、今回の悲劇に献花を捧げているのだろう。

 30年前から考えると、今の製品などは夢のようなもので、それをここまで実現してきたスティーブ・ジョブズの功績は計り知れないものがある。私は同じ時代の中でちょっとだけそれを経験できたことを嬉しく思っている。今では化石のような製品もその当時は最先端の知恵を出したものであり、その連続が今に繋がってきている。

 今後のコンピューターの世界はどのような方向に向かっていくのだろうか。また誰がそれを引っ張って行くのだろうか。

 
 <イコライザーアンプの計画>
 2011年10月1日 

今年の始めにイコライザーアンプを作ろうと計画をたてたのだが、まだ実現していない。自分用だからそれに追われることもなく、いつか作ればと思っているのでなかなか仕事が進まない。この間別のアンプ製作もあり、こちらはお客さま用だからこちらが優先で自分のアンプは何時出来るのかまったく先が読めない。こんな仕事ぶりなのだが、いつも頭の中にはイコライザーアンプのことが片隅にあり、どんな構成にしようかというのは常に考えている。
 今年の5月にバランスアンプを設計してみたら考え方が変わってきて、イコライザーアンプはバランスアンプ構成にしたいと考えるようになってきた。バランスタイプのプリメインアンプはその細かい音の再生能力が優れていると感じたし、通常計測用のアンプなどはバランスアンプが多く使われ、イコライザーアンプのような小信号を扱うアンプはむしろバランスアンプの方が適しているのではないかと考えている。では真空管でどのような構成のアンプにしたら良いのかがこのところの頭のなかでの考察である。自分用だから割り切りをしても構わない。入力はMC入力のみに限定し、入力はアンバランスだが、そこからヘッドアンプ、イコライザーアンプはバランス構成で増幅し、もちろん出力もバランス出力にする。ヘッドアンプはMCトランスを使う方法も考えられる。そのまま出力がバランス出力になるので構成は簡単だが、何かこれでは簡単すぎて面白くないし値段も高い。かといって真空管でヘッドアンプは無理がある。後は半導体でアンバランスーバランス構成のアンプを設計することになる。どういうアンプにするかをいろいろ考えているだけで回路も書いていない。イコライザーアンプは真空管で構成する。問題はバランスアンプにしてノイズをどこまで下げられるかというところが一番の問題になるし、ホット、コールドのゲインの差も出来るだけ抑えなければならない問題もある。まあこちらもいろいろ問題をクリアーしなければならないことがいくつかある。入力回路のノイズを考えた場合、入力回路が倍になってノイズが3dB増えたとしても信号は倍の6dB増えているから結局3dBの得とも考えられるから、ノイズに関してはそれほど気にしなくとも従来の構成でもいけるかもしれない。まあ頭のなかでは自由に回路は構成でき、結果は見られないから自由で楽しい。

 何時になったらイコライザーアンプが出来るか分からないが、人と同じものを作るのが嫌いだから、ちょっと工夫したイコライザーアンプにしてみたいと思っている。

 
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