手造り真空管アンプの店




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店主コラム 2006年4月分〜6月分



2006年6月21日

<電源回路の考察>
 前回のコラムでアンプの出力部分の駆動電流の強化についてお話をしたが、今回は駆動電流を強化する上でアンプの電源について考察してみた。少し専門的なところもあり、分かりにくいかもしれないがご容赦願いたい。
 真空管アンプが最大出力時の電源の必要電流を求めてみる。
サイン波が入力されたときのプッシュプル動作の出力管1本当たりの電流は、
最大出力時の電流:ibmax、負の半サイクル時の最小電流:ibmin 、バイアス電流:Ibとすれば、出力管1本に流れる平均電流 I0

I0=I+1/π[ (ibmax−Ib)∫0π/2sinφdφ+(Ib−ibmin)∫π/2sinφdφ]

 =1/π[(π−2)Ib+(ibmax+ibmin)]
入力信号の負の半サイクル間に、プレート電流がカットオフするAB級、B級動作のときは、
ibmin=0となり
I0=1/π[(π−2)Ib+ibmax  ]
 =0.36 Ib+0.32 ibmax となる。
ステレオプッシュプルではこの値の4倍(4本の出力管)となり、<Adagio>の場合では8Ωスピーカー負荷時(20W)では計算上
I08=238mAとなり、これが電源回路に必要な電流容量となる。
ところが、スピーカーのインピーダンスが変動し、下がった場合にはどの位の電流が必要かと計算すると、4Ωに下がった時はI04=419mAとなり、6Ωに下がった時にはI06=298mAと計算できる。しかしながら実際にはスピーカーのインピーダンスの減少は低音域の場合であるから、常にこの電流が流れている訳ではない。それに、今回の計算は最大出力時の必要電流であるから、実際音楽を聴いている場合には音量、部屋の大きさ、スピーカーのインピーダンスの変動具合、能率など条件が異なるので一概には言えないが、多くの場合はこれよりすっと少ない電流で動作されていると考えられるので、直ぐに破綻するわけではない。ただし設計時に考えなければならないことは、そのアンプの電源回路の余裕度をどの程度持つかが音質に影響しそうである。よってコスト、使い方などを考慮して、なるべく電流容量のある電源トランスを使用したり、瞬間的に必要な電流はコンデンサーから供給するために大きな容量のコンデンサーを用いたり、これまでオーディオ各社が用いてきた電源回路を強化することが1つの方法であることは容易に想像できよう。また真空管アンプの例では出力トランスでスピーカードライブインピーダンスを切り替えていろいろなスピーカーに対応すれば、電源電流を上げずに真空管アンプの性能を発揮させることができる。因みに<Adagio>では定格270mAの電源トランスを使用している。
 今回、スピーカーの変動に対しどの程度電源電流が必要かを計算してみたが、使用されるスピーカーによって考慮が必要であることが分かる。アンプの音は計算だけでは決まらず、実際試聴しなければ良し悪しは分からないが、とは言ってもこのようなことを考慮しながらバランス良く設計することが肝要であると考える。
MYプロダクツのアンプ設計の利点は、既成品とは異なりお客さまの環境に合わせて設計できることであって、使用されるスピーカー、使われる環境、コストなどを考慮しバランスのよい最適な製品を生み出せることにある。MYプロダクツの手造りアンプの良さを味わっていただきたいと思っている。

参考文献  武末数馬 著 「パワーアンプの設計と製作」



紫陽花(アジサイ)です。今年は例年より花が多く咲きました。これまで剪定の仕方が良くなかったのか、昨年余りいじらなかったのが良い結果につながったかもしれません。
アンプもプロに任せていただければ良い結果につながります。








2006年6月11日
<Adagioの進化>

 <Adagio>を知り合いに試聴してもらっている。我が家ではB&W ノーチラス805というスピーカーで試聴しているが、他のスピーカーでも鳴らしてみないとアンプの本当の実力が分からないので、いろいろなスピーカーに接続して聴いてもらっている。私の持論はパワーアンプの音質のほとんどの部分がアンプとスピーカーとのインターフェースで決まってくると思っているので、さまざまな条件でスピーカーを駆動することはフィールドテストの意味で有意義であると思っている。さて今回もゴルフ仲間の友人にお願いしてテストしてもらった。その友人はオーディオ好きで、アヴァロンのスピーカーをジェフローランドのアンプでドライブしている。この高級オーディオの組み合わせに対し、我が<Adagio>がどこまで対応できるものかと興味のあるところだった。結論から先に言うと最初はうまくこのスピーカーをドライブ出来なかった。低音の伸びが少ないという印象を与えてしまった。私が聴いてもそのような印象だ。さて困った。どうしたら良いものだろうか。使われていたるスピーカーは公称インピーダンス6Ωで最低インピーダンスは5.5Ωらしい。高い周波数でのインピーダンスはどの程度増えているかは定かではない。また感度が低く85dB/W/mという。私のスピーカーに比べ半分の感度だ。スピーカーをドライブするとき重要なことは定電圧ドライブすることと十分な駆動電流が供給できることである。さて低域のエネルギーを増やすにはどのようにしたら良いかと考えると、もっと供給電流を増やすことが出来ないかと考えた。スピーカーはフレミングの左手の法則で動いている。駆動力は駆動電流に比例する。スピーカーの低域はインピーダンスが低くなり、より多くの駆動電流を必要とし、特に感度の低いスピーカーの場合はもっと必要になる。そこでパワー段の見直しをし、この電流駆動を増やすような改良を少し加えた。するとどうだろう。アンプが見違えたようにスピーカーをドライブしてくれた。この友人の言葉を借りると、すべての楽器の音が明るくなり、アンプの価値が20万円位アップしたということだった。音の重心が下がった感じだ。低能率のアヴァロンのスピーカーをドライブするには少し駆動電流が足りなかったようだ。ほんの少しの変更で改良が可能となった。オーディオアナログ回路というのは面白い。見えない部分がたくさんある。そこを調べていくといろいろの発見がある。今回のテストは大変貴重な経験になった。世の中さまざまなスピーカーが存在するが、やはりそれを実際ドライブしてみないと良いアンプは作れないと実感した次第。また今回貴重なノウハウも得られた。有意義なテストだった。


シャクヤクの花です。ほんの少しばかりの花数ですが、鮮やかな色のため目立っています。MYプロダクツもこのように成りたいと願っています。



2006年6月1日
<ピアソラ>
このところピアソラの曲を聴くようになった。タンゴ曲を聴くようになったのは女房の影響からだが、特に最近ピアソラが好きになった。以前から彼の曲は聴いていたのだが、ピアソラの曲をクラシック演奏家が演奏したのを聴いてから急に好きになった。クラシック演奏家は丁寧に演奏するし、それに演奏がやはりうまい。この演奏で聴くと曲の素晴らしさが良く分かる。ピアソラの曲は所謂タンゴのリズムに乗って作られた曲と違い、スローなテンポが多いが、メロディーの展開が面白く、演奏者のテクニック、情感なども要求する曲に思える。それがクラシック演奏者によって私がはまってしまったようだ。また表現力の多彩さもあっていろいろな曲がそれぞれ楽しめる。私にはまるでビートルズがそれまでのロックを変えたように、ピアソラもそれまでのタンゴを変えたような感じだ。私が好きになるきっかけとなったCDは<Piazzolla>The classic wayだが、パトリック・ガロワ(フルート)、イエラン・セルシェル(ギター)の<Piazzolla for two>も良い。他にはギドン・クレーメル(バイオリン)<ピアソラへのオマージュ>やヨー・ヨー・マ(チェロ)などの演奏もあり、かなりのクラシック出身の演奏がある。何故かクラシック演奏者はピアソラ好きがいるらしく、武満徹もピアソラは好きな作曲家であったらしい。ピアソラはもともとバンドネオン奏者であったが、作曲も始め1950年代から曲も有名になってきたということだ。しかしそれまでのタンゴ曲とはかけ離れているので必ずしも受け入れなかったらしい。私も聴いてみてタンゴの印象はない。別にタンゴの範疇に入れなくても良いと思って聴いている。
 これまでタンゴなどはあまり聴いていなかったがピアソラという音楽ジャンルがひろがった。皆さんの中でももし興味があったらピアソラを聴いてみて下さい。タンゴをはみ出た名曲が多いと感じるでしょう。クラシックの現代音楽に通じるような新しい音楽が聴けます。

ツツジがやっと咲きました。今年は例年より開花が遅いように感じられます。撮影時にはミツバチが蜜を吸っていました。どこでこのわずかな花を察知するのでしょうね。昆虫の不思議です。



2006年5月21日
<テケテケサウンド>

 このところNHK趣味悠々<大人のエレキギター>がきっかけで昔のギターを引っ張り出しエレキギターの練習を始めた。(ギターは普通のいわゆるフォークギターでの練習であるが)HNKも面白い番組を作ってくれたものだ。亜麻色の髪の乙女、パイプライン、ブルドック、今週は十番街の殺人もやってくれた。昔懐かしい曲が楽譜に載っていて、また講師の弾き方を見ながらの練習は楽しい。十代の頃を思い出す。高校生の頃一度だけエレキギターを文化祭で演奏したことがある。だからまったく弾けない訳でなく、指は速く動かないがゆっくり演奏すれば曲にはなる。これも挑戦すると指が以前より動くようになってきた。左手の指先は硬くなるし、手首の筋肉は痛くなるが、少しずつ進歩すると楽しくなる。昔のエレキサウンドであれば少しはついていけるが、ブルース系になると慣れないせいかちょっと難しくなる。それにしてもあのテケテケ(6番線のグリッサンド)の練習はちょっと気恥ずかしい感じがする。この演奏はベンチャーズしか演奏しないし、今はだれもテケテケをしない。それだから小さい音で練習する。でも実に楽しい。最近団塊の世代が楽器を購入しているということを耳にする。きっと私と同じ気分なのだろう。私は団塊の世代より少し下の世代だが、青春時代の音楽は同じだ。先日TVで南こうせつ、吉田拓郎などが野外コンサートを復帰させると報じていた。観客は結構団塊の世代が多いらしい。青春時代の音楽の記憶というのは強烈なものだ。この時に聴いた音楽はその人の音楽人生を形成すると言っても過言ではない。私の場合はベンチャーズでありビートルズであった。深夜放送のはしりでこれらの音楽を聴いたときはまさにぶっ飛んだ感じの音楽であった。エレキなどは不良の始まりみたいなことも言われて時代だが、演歌、唱歌にはない強烈なビート、聞いたこともないハーモニー、リズムすべてが新鮮でこれが強烈にしみ込んできた。これが青春の音楽だった。
毎週水曜日午後10時 NHK3チャンネルが今の楽しみの時間だ。弦を張り替え、ギターのブリッジを少し削ったら少し演奏し易くなった。もう少し削ってもいいかもしれない。こんなことを考えながら、いつかビートルズの曲の弾き語りが出来ることを夢見ている。






2006年5月11日
<アナログ回路>

 最近巷ではITと言う言葉が氾濫し、家庭電化製品もデジタルが主流になっている。ところが私の真空管アンプはご存知のように超アナログ回路と言ってよい。世間の主流からは外れているかもしれない。私自身は仕事でアセンブリ言語でプログラムも組んでいたし、ロジックICでデジタル回路も設計していて、特にアナログ回路だけが全てではなく、それ程これらの技術間の垣根というものは感じていない。私には物を作ることが楽しいのであって、そのため中身がハードであろうが、ソフトであろうが、要はスマートに設計ができれば良いと思っている。とは言うものの今はバリバリのアナログ回路設計者ではある。すでに真空管アンプ回路などは完成されていて、いじるところはないと思われがちであるがそうではない。このアナログ回路というのも奥が深く、この2年間真空管アンプの回路を検討してきて、その性能が格段に上がっている。今私の家のリファレンスアンプとして使っている6550ppの例を挙げてみよう。このコラムの最後の方に特性を示すので参照してほしいが、その中で1年前の特性と今の特性を比較してみると、格段に進歩していることが分かる。面白いことに、このアンプ回路の基本構成は変わっていない。変わったところはピンコンパチブルな他真空管への変更、抵抗などの定数が違っているだけだ。基本回路の素性が良かったこともあるが、さらに細かくて特性を追っていくと性能が上がり、当然音質も格段に良くなっている。抵抗値を変更したり、調整機能を追加したりすると、歪特性が10分の1に改善された。これがアナログの面白さだ。見かけは同じように見えるが、細かいところの配慮によってその性能が大きく異なってくる。実際、最初ここまで特性が良くなるとは期待していなかったのであるが、いろいろ調べていくうちにここまで性能が上がってきた。今この進歩に自分自身驚いている。
 私が一番うれしいのはアンプの特性が上がったことそのものではない。うれしいのは私自身が進歩していることが実感できること。少なくとも1年前より真空管アンプについての技術は上がっているという実感だ。TVでトヨタの元社長の張氏がいつも挑戦しているのが人間・会社の進歩に繋がると話していたが、私のような超小さな個人企業でさえチャレンジして、進歩が実感できるとうれしいものだ。アナログ回路には眼に見えない現象がたくさんあり、それを見えるようにして改善していくのも挑戦の甲斐がある。今のエンジニアはアナログ回路をあまり設計しない。誰も見向きもしない真空管回路でも挑戦してみるといろいろ面白いことが分かってくる。挑戦する気持ちがこのような結果を生む。世の中上辺だけでは判断できないアナログ回路はたくさんあるように思う。

私がリファレンスとして使っている6550pp真空管アンプ。常に改造をしているので正式な回路図はない。アイデアが出るとこのアンプを変更、測定、試聴を繰り返している。Adagio開発の原器となったもの。

特性は次の特性データをクリックして下さい。
特性データ




2006年5月1日

<ブランド>
 この3月私の田舎の小さな町が平成の合併により市になった。これは喜んでいいのか、悲しむべきものか分からない。理由は私の慣れた町名が無くなってしまったからだ。私の女房も時期を同じくして、故郷の市の名前が変わってしまった。お互い小さな田舎の市・町の出身だから仕方の無いことではあるが、寂しいものである。私の場合、近くの何々村と言えば海に近いあそこの場所、何々町と言えば杉林の多いあの場所と言うように、地名にリンクした場所のイメージがあったが、今度はすべてそれが何々市といってもどこの場所のことを指しているのかイメージが湧かなくなってしまった。養老孟司の「バカの壁」を読むと、名詞には人それぞれ違っているが一定の共通したイメージがあるから会話が成り立つということだ。例えばリンゴと言っても人それぞれ違ったリンゴを想像するらしいが、それでも共通するリンゴというイメージがあるから、何も不便なく会話が成り立つということらしい。ところが、今回のような合併されると地形は変わるし、場所は特定できないし田舎の新しい地名からは何ら共通した故郷のイメージが湧いてこない。
 サラリーマン時代、所属組織の名前はかなり変わった。勤続30年で部課名は20以上変わっただろうか。組織変更が好きな会社であったから慣れたもので、名前が変わっても下で働く人間はまたかという気持ちで気分はまったく変わりなく働いていた。ところが、部署名は多く変わる会社であったが、ブランド名としての会社名については常にトップから大切にしろとのお言葉があり、我々も常に世界一を目指して働き、ブランド名についてはそれなりの誇りを持って働いていた。出張で海外に行ってもそのブランド評価はそれほど変わらず、これはそこに働く人間が作ってきた努力の結果であろう。
名前・ブランドとはその組織の共通するイメージを作る上で大切なものだ。最近地方特産品のブランド登録が盛んだ。これまで何十年、何百年かけて築いたブランドを勝手に使われないように守る上で大切なことと思う。私自身は自分のブランドで製品を提案することは夢であったので、今はうれしい気分でいるが、この小さなブランドは私自身のことであり、性格、実力、能力を現す重要な名前だ。ちっぽけな名前だが、誠実に対応してブランドイメージをより上げていきたいと思う。
企業にしても個人にしても町名にしても名前・ブランドというのは作っていく物であり大切にしなければならない。これは肝に銘じて発信していきたいと思う。





2006年4月21日
<マタイ受難曲>
 2月の頃だったと思う。<たけしの誰でもピカソ>でマタイ受難曲が紹介された。それは<ペテロの否み(いなみ)>という部分で、曲の演奏の前に曲の内容が紹介され演奏された。私はこの演奏に涙を流してしまった。あまりにも悲しく聴こえたからだ。たけしも情景が目に浮かぶような曲だったと印象を残していた。曲の内容はこういうことだ。イエスが捕まり、イエスとの関係を問い詰められた弟子のペテロは、イエスのことを3度知らないと証言してしまう。すると鶏がなく。これはイエスにすでに予言されたとおりのことであり、ペテロは自分の弱さ、自分の裏切りに嘆いて涙にくれる場面である。このバッハの曲は、バッハの曲の持つ形式美とかとは幾分内容が異なり、私にはより感情的な部分が押し出されていて、それが私の涙腺を刺激したように感じられた。その後この曲のことをもっと知りたくなり、CDで聴き直した。それでもまだ受難とは、あるいはペテロの否みとはどういうことかを知りたくなり、遠藤周作の<イエスの生涯><キリスト誕生>を読んでみた。それでやっと曲のバックグラウンドを理解することができた。日本に育つとキリスト教などの背景を知る機会は少ない。そこから派生した音楽を理解するのはまず背景から理解が必要と思い、今回挑んでみたのだがいい勉強になった。一つのテレビ番組で紹介された音楽からとんだ方向へその理解が発展していったが、このような展開というのも面白かった。
 物を造るというのは必ずその裏には造った人のストーリーがある。何かにインスパイアーされ閃いたり、自分の思いを形に表したりする。それがなかったら人は感動しない。そんな意味でも背景を理解したのは意味のあることだった。
 バチカン市国にある<サンピエトロ寺院>には2度行ったことがある。ローマ法王がおられるところだ。ここはペテロの墓があったところに寺院が建てられたと言い、何年か前に墓の後が発見されたという。ここに行くとミケランジェロの<ピエタ像>や<システィーナ礼拝堂の天井画>、ラファエロの<アテネの学堂>など彫刻・絵画に眼を奪われてしまう。音楽のことは旅行案内には触れられていないので考えたこともなかった。今度ここを訪れる機会があったら、今度はウオークマンで<ペテロの否み>を寺院の真ん中でひっそりと聴いてみたいと思った。

 海棠(かいどう)の花です。鎌倉の寺には小林秀雄の文に出てくる立派な海棠の木がありますが、我が家の海棠は小ぶりなものです。1週間ほど前に撮影したもので今はすでに散ってしまいました。








2006年4月11日
<小江戸川越の旅>
 3月の終わりに小江戸川越に散策に行ってきた。このHPのリンク集にもあるが、私の友人が小江戸川越の写真を撮り続けているので行って見たくなった。横浜から2時間ちょっとの距離にある埼玉県の城下町だ。ちょうど桜の開花時期とも重なり絶好の散策日和となった。川越で特に有名なところは城下町の名残が見られる蔵造りの町並みである。江戸時代から残っていると言われる蔵が今も商店として保存され、それが何件もが通りを連ねている。懐かしいというより、こんな蔵が軒を連ねる通りは余り見たことがない。昔はさぞ裕福な商人の町であったと想像されるし、それをきれいに保存し観光名所として復活させているのが素晴らしい。NHK TVでも紹介された木造のやぐら<時の鐘>は実物で見ると思ったより高い建築物であり、昔の大工さんの技量が見てとれる。
 私が一番心を躍らせたのが菓子屋横丁と呼ばれる10数件の駄菓子屋さんが集まっているところだった。小学生も春休みで駄菓子を籠に入れて買いあさっていたが、今の菓子は清潔感あふれるもので、昔我々が子供時代の怪しげな食べ物は売っていない。私は子供の頃この怪しげな駄菓子を食べたかったが、両親が駄菓子を買うことを禁止していたためほとんど食べた経験がない。今なら誰にも文句を言われず食べられるのにと思いながら駄菓子を見ていた。
この中で特に懐かしかったのは、竹と紙で組み立てるゴム動力の飛行機の商品が展示されていたことであった。恐らく私が最初に模型を作ったのはこの飛行機であったと思う。何か昔の微かな記憶にあるこの模型飛行機の包装紙の絵が急に懐かしく感じられた。当時プラモデルは多くは買ってもらえず、子供の科学という雑誌を見てオール自作したパワーショベルの模型のことが急に思い出された。4モーター動力で木材・白ボール・ブリキ・ゴムキャタピラで本体を作り、有線のリモートコントロール操作のこのパワーショベルが今の私の物造りの原点だ。プラモデルが買ってもらえないことが逆にこの自作模型の制作への意欲を掻き立てたように思う。この物造りの感覚が今も続いているのは私の性格なのか。昔私の田舎のヒエダ文房具店の前でマブチモーターやギアを眺めては想像を膨らませていたのが懐かしい。
 春ののどかな日は、幾つかの桜の名所を訪ね、また真空管アンプを鳴らしている喫茶店でお茶を飲み、この日は小江戸の旅というより昭和の旅というものであった。

右の写真は小江戸川越のお店で見た砂糖菓子です。幕の内弁当の形をしていますが、実際は金平糖などの砂糖菓子で出来ています。とてもかわいいお菓子です。
小江戸川越を詳しく見たい方はこのHPのリンク集にある、Nakazawa's Digital Photo Galleryを見て下さい。四季折々の小江戸川越の風景が載っています。








2006年4月1日

<浄瑠璃時の春>
 春になると思い出す言葉が<浄瑠璃時の春>だ。この言葉の響きが好きで頭に残っている。堀辰雄の大和路・信濃路の中の文章で、確か高校一年生の国語の教科書の最初の文がこれで、浄瑠璃寺、馬酔木(あしび)という漢字が出てきて急に文が難しくなったという印象がある。30代のころ、この言葉が思い出され5月連休にこの浄瑠璃寺を訪ねた。所在地は京都府だが、奈良に近く奈良市からバスで30分程山奥に入ったところにある。静かな山間の中に池を挟んで三重塔と本堂があり、その本堂に九体仏が安置されている。のどかな大和路そのものの風景だ。私がここを初めて訪れたとき、寺には佐伯快勝さんという住職がいらして、仏像の見方を簡単に教えてくれた。その寺には住職が書かれた仏教や仏像についての解説本が置いてあり、それを買ってその晩ホテルで一気に読んだ。それが仏像に興味を持つきっかけになった。翌日からの旅はこの本を見ながらの奈良の寺、仏像を見ることとなった。それまでは仏像などまったく興味が湧かなかったがこの本がきっかけで仏像に興味を覚え、京都・奈良の旅が楽しめるようになった。
 今でも浄瑠璃寺は好きな場所で昨年も5月に訪問した。ここの仏像は全国でもめずらしい九体の阿弥陀如来が安置されている。阿弥陀如来は西方浄土にいる仏さまで我々が死んだ後、生前行いが良ければ行ける場所だ。それもその行いのランクによって九つに分けられ、それぞれ九体の阿弥陀様にお世話になるらしい。(九品(くぼん)と言い、世田谷<九品仏(くほんぶつ)>も同じ)浄瑠璃寺はこの九体仏が直ぐ近くで見ることができるので好きなところだ。直ぐ眼の前に座ることができる。何も考えずに座っているだけで気分が落ち着く。不思議な感覚だ。もう何回訪ねただろう。5回以上は訪問しているだろう。私のお気に入りの場所だ。京都と違う山郷の雰囲気も素晴らしい。尚、浄瑠璃とは生まれる前の浄土で薬師如来がいる浄土のことである。この寺は池を挟んで浄瑠璃の世界(生まれる前)<三重塔>と西方極楽の世界(死んだ後)<本堂・九体仏>が対峙している造りになっている。そしてお彼岸の日にはこの三重塔とお堂を結ぶ線の真上に日が沈む位置に配置されている。春になるとまた<浄瑠璃寺の春>が頭をよぎる。この先何回訪れることになるだろうか。

 昨年訪れた浄瑠璃寺本堂の風景です。カメラ側に三重塔があり本堂との間に池が挟まれている配置になっています。我々は今生きてこの世にいますので池の上にいることになるのでしょうか。この季節馬酔木の花が満開になっていると思われます。










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