手造り真空管アンプの店




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店主コラム 2006年7月分〜9月分


2006年9月21日
Minuet(メヌエット)U>
 今Minuet(メヌエット)を聴きながらこのコラムを書いている。R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」だ。この曲の冒頭部分の低音を確認し、また各楽器のバランスを確かめている。この小さなアンプにしてはなかなか良く鳴っている。B&W ノーチラス805がこれだけ鳴ってくれれば満点だ。自分で言うのもはずかしいが、このアンプは傑作だと思っている。何が傑作かというと小さな出力、別な言い方をすれば小さな出力管と出力トランスでこれだけの音を出してくれている。十分クラシック音楽を楽しめる音である。これは部品で音が決まると考えている人、特に大きなトランスと高価な出力管が必要と考えている人にとっては予想以上の音ではないだろうか。私もこれまで、数Wのシングルアンプでは本格的にクラシックを聴くには無理があると思っていたが、今回少し常識はずれな回路にして、アダージョで得られたノウハウを実現してみたら、予想以上の出来に仕上がってくれた。独りよがりの感想であるが、これが私にとって小型アンプの傑作と思っている理由だ。
 さて、ではどのようなアンプになっているのだろうか。一言でいえば高負帰還アンプになっている。これを言うと真空管アンプ愛好者は顔をしかめるであろう。だが私は逆に挑戦的に試みている。小さな5極管を使って最大出力を大きく保ち、且つ低出力インピーダンスを実現するにはこれしか方法が無いからだ。しかし高負帰還時の安定度を保つために、ここで技術を要する。このアンプは多重ループ負帰還(NFB)となっている。オーバーオールNFBループの中に小NFBループを持ったNFB回路だ。このNFB回路と優れた位相補償回路により安定したアンプが出来、低出力インピーダンスを持つ回路に仕上がった。D.F20以上がその結果だ。また出力段は固定バイアス方式にこだわり、電源も改良型の定電圧回路にこだわって、小型ながら最大限の性能・音質を目指した。
 Minuet(メヌエット)は大きさ・値段にもこだわったので確かに性能面においては不十分なところがある。しかし逆に考えると、出力トランス・出力管などをパワーアップすれば簡単にグレードアップできると考えている。回路の基本方式は同じでより低域に有利なトランス、真空管を選択すればよい訳だ。
 今回の小型アンプの開発は技術的に大きな進歩が得られたと感じている。小型部品で常識はずれな高負帰還回路のアンプは大変優秀な音を持っていることが確かめられた。これは皆さんに聴いていただかないと分かってもらえないかと思う。

Minuet(メヌエット)の内部です。写真上部に隠れていますが電源基板が装着されています。Aクラスアンプは電源が非常に大切です。基本的な部分はきちっと押さえた設計になっています。




2006年9月11日
Minuet(メヌエット)発表>
 この秋に小型プリメインアンプMinuet(メヌエット)を発売します。そのためこのホームページの画面を書き換えましたのでご覧になって下さい。昨年はAdagio(アダージョ)を発表したが、前のコラムにも書いたようにここで得られたノウハウを何とか安いシングルアンプに応用出来ないものかと検討してきた。実際、このMinuet(メヌエット)は構想から試作完成まで半年以上の歳月がかかった。安いアンプだから簡単と思われるが、逆に真空管・トランスの性能、コスト、大きさなど制約されることが多く、簡単には出来なかった。しかしながら出来上がったアンプは予想以上の出来に仕上がった。私としては小型部品の性能を十分発揮できたアンプと考えている。この小型アンプは今後のシングルアンプを設計する上で、回路的に基準モデルとなりうるエポックメーキングな製品と思っている。部品にお金を掛けることは簡単だが、安くて良いアンプはどう作ったら良いかは技術が必要であることはお分かりになると思う。
 さてその様な訳でMinuet(メヌエット)を多くの皆様に使っていただきたく、このHPで解説しています。Minuet(メヌエット)とは音楽用語で<優雅な3拍子で>という意味なのですが、言葉の響きが小型アンプのイメージに合ったものですから使っています。余談ですが、最後の2文字を逆にしたMinuteは「ごく小さな」という意味もありそのイメージにも似ているのでこの言葉を採用しました。
  Minuet(メヌエット)はプリメインアンプですからお手持ちのCDとスピーカーを繋げていただければお使いになれるアンプです。小型で使いやすくかつ音にもこだわりました。4W出力に足りないと感じる方がいるかもしれませんが、8畳くらいの部屋でもかなり大きな音量で聞くことができます。肝心の音質ですが、トランスの制約などもありオルガン演奏などの超低音はさすがに厳しいですが、オーケストラ、ジャズ、ポップスとも苦手とする音楽はなく、多くの皆さんに音楽を楽しんでいただける音質であると確信しています。恐らく皆さんはこの大きさのアンプからは想像を超えた音質、迫力を感じることでしょう。私はオーディオマニアのためにアンプを造っている訳でなく、音楽が好きな方により楽しんでいただけるように造ることを心がけています。<聴き心地>良く音楽を楽しみたい方は是非このMinuet(メヌエット)を使ってみて下さい。私の小型アンプの自信作です。

 Minuet(メヌエット)如何ですか。今回のアンプ紹介では写真がきれいと思いませんか。私の友人の中沢さんに撮ってもたったものです。腕とカメラが良いので私のイメージに近い映像が届けられたと思っています。中沢さんは自分の故郷”小江戸川越”を撮り続けている方です。リンク集を参照して下さい。


*文字のサイズを変えました。編集の時と実際のブラウザーの表示がうまく一致せず、良いサイズ・段落のフォントにはなりませんが、以前よりは見易くなったのでは。



2006年9月1日
<アマチュアオーケストラを聴く楽しみ>

 テニスの友人がアマチュアオーケストラに所属していて、その演奏を聴かせてもらっている。アマチュアオーケストラの演奏は当然プロのオーケストラとは演奏が異なり、演奏に幾分かの不安定な部分があり、聴くほうもヒヤヒヤしながら聴くこともあるが、それはそれで愛嬌があってよい。何よりもプロの演奏と違うのは会場の雰囲気だ。何かアットホームな雰囲気があり、子供からお年寄りまで幅の広い聴衆者の中で聴くのはリラックスできる。非常に有名なプロの演奏会などは、見かけはクラシックに詳しそうな人ばかりの集まりに見え、こちらも何か硬くなってしまう。その点アマの演奏というのは、リラックスして聴ける。
 さて今回このアマチュアオーケストラを聴き、新しい聴き方が発見できた。そのテニスの友人はオーボエ奏者で、音も良く上手な人だ。今回シューベルトの未完成交響曲を演奏したが、私はこの曲がこれほどオーボエをフィーチャリングした曲であることを初めて認識した。事前にCDで一応聴いてから生演奏を聴いたが、ここに聴き方の違いがあった。CDで聴いた場合は曲全体を聴くような感じで、メロディーをただ追って聴いているだけで、どのパートがどのように演奏しているかなどとは聴いていなかった。しかし生演奏のときは、友人のパートがどうしても気になり、オーボエのパートに耳がいってしまう。それが先ほど述べたこの曲におけるオーボエの重要性が発見できた次第。これは面白い発見であった。特にオーケストラの演奏で特定のパートを注意して聴くということをしたことがなかったし、また詳しく個々の楽器のパートまで理解はしていなかった。それが今回は各楽器のパートを聴く楽しみが追加されたようだ。しかし演奏者の立場に立ってみると、目立つ代わりに演奏の重みが増したいへんそうだ。そのパートの出来不出来が曲全体の出来を左右してしまうからだ。その友人に演奏会後声をかけたら、演奏前は胃が痛くなったそうだ。
 そんな思いをしてまでして演奏をするというのはやはり音楽が好きなのだろう。(きっとドーパミンが出ているに違いない)今回アマチュアオーケストラの音楽を聴きまた新しい音楽の聴き方が発見できた。アンプの設計にしても低音だけが音楽ではない。どの楽器も良く聴こえるようにしなければならない。そうしなければ演奏者に失礼だ。


夏の終わりのこの時期に咲くサルスベリの花です。これを見るとちょっと寂しい気分になります。











2006年8月21日
<シングルアンプの設計>
 今、シングルアンプの設計・試作をしている。Adagioではプッシュプルの本格的なパワーアンプであったが、このノウハウを活かしてもっと簡単に使えるアンプが作れないものかと思案してきた。Adagioではスピーカーとのインターフェースが音質に大きく影響を与えることが分かってきたが、これを何とかシングルアンプにも応用出来ないかと考えてきた訳だ。シングルアンプは回路も簡単で設計も楽のように思われるがそうではない。まず出力の問題がある。シングルアンプは大きな出力が取り出せない。せいぜい数Wで家庭では十分な大きさの出力であるが、スピーカーの変動を考えると出来るだけ出力は大きい方が良い。通常5極管、ビーム管を使用するがすると出力は出るが、出力インピーダンスが高くなる。3極管接続、UL接続の手もあるが出力インピーダンスは下がるが出力は小さくなるし、UL接続では出力トランスも特殊になる。あちらを立てるとこちらが立たず、なかなか良い解決法が直ぐには見つからなかった。また家庭で気軽に音楽を楽しんでいただくためにプリメイン型とし、CDプレーヤーなどを直接繋げばすぐに音楽を楽しめるようにしたいし、なるべく安く提供し、当然音もそれなり私のこだわりを容れた物にしたかった。そんないろいろな条件をつけた中でアンプの設計、試作が始まった。結論から先に言うと良い回路が出来た。ここ数ヶ月頭の中で回路を作ってきて、何度も書き直しをしながらアイデアを暖めてきた。そしてやっと実際の回路で実験機を作り、特性、音質を確認したら良いものに仕上がった。我が家のダイニングルームで使用している6V6シングルアンプを改造して実験機を作った。回路は3段増幅、6V6の5極管出力で裸ゲインは大きくなるが、それを局部負帰還とオーバーオール負帰還を併用した負帰還技術で安定した、特性の良い回路に仕上げた。ここにこの回路ノウハウがあり特長もある。音質も歯切れの良い低音が再生出来たし、高温も温かみのある音になった。この実験機は4W出力だが家庭の部屋で聴くには十分な音量・音質が得られている。そして今は出力管を6BQ5に変えた商品を仕上げている。こちらもすでに測定、試聴に入り納得の行くアンプに仕上がってきた。皆さん今年の商品は比較的安価な家庭用プリメインアンプを提供しようと思っています。これまでのシングルアンプとは一味違ったアンプに期待して下さい。


 右の写真が今度発売予定の6BQ5のシングルアンプです。一見するとただの小型アンプに見えますが、中身は私のノウハウが詰まっています。楽しみにして下さい。
ご家庭で気軽に音楽を楽しめるように設計しました。きっとこれまでにない音楽の楽しみ方が出来ると確信しています。






2006年8月12日
<現代スピーカーに対応する真空管アンプの設計法>

 今回は少しタイトルが長い。Adagioでいくつかのスピーカーをドライブした経験から、アンプとスピーカーのインターフェースを考慮に入れ、現代スピーカーに対応した真空管アンプはどのように設計したらよいかを考えている。最近その考えがまとまりかけてきたので述べてみたい。何度もこのコラムに述べているが、最近のスピーカーは昔のスピーカーと違いインピーダンスの周波数変動が大きい。私が使用しているB&W社のノーチラス805では公称8Ωであるが4.6Ω〜30Ωと変動する。問題は低域でインピーダンスが下がることで、これが低音を出しにくくしている。現代のスピーカーはハイパワーの半導体アンプを前提に設計されているらしく、一昔前のデバイスである真空管のアンプは考慮していない。これまでの真空管アンプの設計法は8Ωの負荷(スピーカー)が4Ωになることを想定していない。それでは負荷が4Ωになるとアンプはどのような不都合が起こるのだろうか。単純に考えると、周波数特性がフラットでなくなることと、真空管、出力トランス、電源トランスが設計想定の倍の電流容量が必要になることである。8Ωでフルパワーになるように設計しても実際のスピーカーに接続すると、低域では予定の倍の電流が流れていることになり、アンプが定格以上の動作をする可能性がある。それではこれらの部品の定格電流を倍にしておけば破綻することはないと思われるが、それではすべて大きな部品になってしまい、アンプも高いものになってしまう。このように負荷が大きく変動するのに対応して真空管アンプはどのように設計したらよいのであろうか。結論から言うと、4Ω負荷時にアンプの最大定格になるように設計すればよいことになる。一番厳しい条件のときに最大出力が出るように真空管、出力トランス、電源トランスを設計することである。更に話を進めていくと単純な結論になった。具体的には出力トランスの4Ω端子で8Ωスピーカーをドライブすることである。このようなドライブ方法であればこれまでどおり8Ω端子に8Ω負荷で最大出力がギャランティー出来るように設計しておき、それで4Ω端子を使ってスピーカーをドライブすることだ。こうすればスピーカーが4Ωに下がってもそのときの最大出力はギャランティーできるし、出力インピーダンスも下がり周波数特性も改善され一石二鳥でメリットは多い。ではデメリットは何かと言うと、最大出力が減少することである。8Ω負荷時の最大出力は半分になる。だからこれまで40W(8Ω)で設計していたものが20W(8Ω)のアンプになってしまうが、低域時の4Ωでは40Wがギャランティーでき、低域時にも十分スピーカーをドライブできることになる。今私のアンプは4Ω端子でB&W805をドライブしている。最大出力の減少は気にならず、むしろ低域の出方が改善されメリットの方が大きい。これが今、私が結論に至った設計法である。あっけない結論になった。私はこの結果が気に入っている。単純な結論というのは無理がなく、スマートと思われるからだ。


 私が愛用しているスピーカーB&Wノーチラス805です。私の真空管アンプの開発はこのスピーカーを如何に鳴らすかということに尽きると言って過言ではありません。このスピーカーとのインターフェースを考えた結果が上記の結論になりました。この結果は805に限ったことではなく最近の多くのスピーカーに当てはまる結論と考えています。







2006年8月1日

<ドーパミン>
 最近、脳科学者の茂木健一郎氏の面白い記事が載っていて、思わず納得してしまったことがある。この茂木さん、最近NHKの番組の司会をされたり、新聞で紹介されたりしている脳科学者である。その内容がこの<脳の快楽、ドーパミン>という言葉であった。脳に快楽があるとドーパミンが流れるらしいのですが、この脳の快楽というのは人さまざまで、マザーテレサは貧しい人に尽くすことが快楽であるらしい。ある高名な数学者は20年も解けない数学の問題を長い間考えるのが無上の喜びと感じる人もいる。この茂木さんも心と脳の難しい問題を考えているのがうれしいとのことだ。このように解決できないようなことを楽しめるようになると、持続可能な脳の快楽となって続けていられるらしい。
 私はこんな難しいことをしたことはないので、同系列には論じられないが、最近アンプのことを考えるのが非常に楽しく感じている。
 サラリーマン時代の若いころ、今考えるとこのドーパミンがたくさん流れていたように思う。設計、開発というのは直ぐに結果が出る訳ではない。多くの場合、具体的なお手本がないので、考え、試行錯誤し結果が出るように努力する。このうまくいかないときが楽しかったのだ。だから会社に行くのが楽しい。家でアイデアが浮かんだら、直ぐに会社で試してみたいので次の朝が待ち遠しいときもあったのだ。多くの場合、すぐ解決することなく失敗し、また考える。これの繰り返しであったのだけれど、辛いとは思えずむしろ楽しかったと記憶している。歳をとるに従いこのような環境から離れ、いつの間にか短期的な数値結果のみを求められるようになると、脳の快楽はなくむしろストレスが増え、このドーパミンも減ってきたように思えた。ところが会社を辞め、ひとりで真空管アンプを設計するようになってから、このドーパミンがまた出てきたように感じている。音で人様を満足させるのは大変難しい。だからこの難しい問題をいろいろな角度から考える。それが最近楽しく感じられる。音の結果も少しずつ出ているので、進歩も感じられる。若いころの楽しさに戻った感じがしているのだ。
 茂木さんによると、この難しくて際限ない学習というのが、持続可能で一生退屈しないし、仕事もうまくいく楽しい人生なのだそうだ。まだこれからどのような結果になるのかは分からないが、音狂老人になることが人生を楽しく生きるコツなのかもしれないと感じている。


右は現在開発中の小型アンプ。どのような回路、レイアウトにしようかと考えている時にドーパミンが出ているかもしれない。私にはこれが快楽の時だ。このアンプ後で詳細を発表します。皆さんはどのような時にドーパミンが出ていると感じますか。(苦にならない事です。)




2006年7月21日
<ホームページ公開1年>

 このホームページを公開してちょうど1年になった。今このページを読んでいただいている方には感謝したい。稚拙な文章を読んでいただきありがとうございます。
本来は私の真空管アンプを紹介する目的で作ったサイトだが、多くの製品を持っている訳ではないので、製品紹介にはおのずと限りがある。そこで<店主のコラム>と称して、私の日ごろ感じていることを発表させていただいている。知り合いの方からは時々、コラムについてご意見をいただく。あの文章が面白かったとか、見方が面白いとか、お前は本当にエンジニアだったのかとさまざまである。いずれにせよ、このページを読んで頂いてのご意見なのでたいへんありがたい。最初、それ程コラムを書くようなテーマがあるのか心配したが、書き続けてみるとテーマは身近にあることが分かった。皆さんにとっては興味のないことなどさまざまなので、これらの文が面白いかは別にして、自分が書いてみたいことは意外と湧き出てきた。これはこのコラムを書くようになってから物、人、新聞記事など見る意識が変わってきたからかもしれない。もともと文科系ではないので国語は得意な方ではないが、サラリーマン時代と違い、今は文を書く時間をゆっくり取れるので何とか書けている。
 それにしてもインターネットとは便利なものである。一昔前の個人だったら自分の意見を述べる手段はなかったが、今はこのような手段で個人の意見を簡単に述べることができる。商売には売り手、買い手間の信頼が重要であり、私を知っていただくことが重要であると考えている。人柄は製品に表れるが、そこに行く前にこのホームページで私を知ってもらい、それから製品を使ってもらいたいと考えている。
アクセス数は多くはないが、誰かがこのサイトにアクセスして読んでいただいている。だから今後もアイデア、エネルギーが尽きるまでこのコラムの掲載は続けるつもりである。アンプ同様コラムも宜しくお願いいたします。
これまで読んでいただいた方々には感謝いたします。
何か感想でもあればご遠慮なくメールを下さい。

このホームページを読んでいただいてありがとうございます。これからも宜しくお願いいたします。
MYプロダクツ店主:    安井洋介
 




2006年7月11日
<北海道旅行>
 6月末に、20数年ぶりに北海道に行ってきた。北海道は梅雨の影響もなくすがすがしい。新千歳空港に降り立った瞬間に感ずる空の青色、雲の色、空気の湿り気など普段横浜で感じる空気とは異なりすべてがきれいでクリアーだ。 旅は小樽、札幌、富良野・美瑛をレンタカーで回った。国内でレンタカーを借りるのは初めてだ。運転が次第に慣れ、周囲に眼がいくようになると北海道の自然が感じられるようになってくる。透き通った空気、たくさんの緑、広いスペース、これらはヨーロッパの雰囲気を連想させる。北海道の運転は楽しい。結局3日間で500km走破した。特に1日かけて富良野・美瑛のドライブは最高だった。まだラベンダーの開花には早すぎたけれど、広々とした空間と、鮮やかな花の彩りはすべての日常を忘れさせてくれる。前田真三さんの写真にもなる景色はきれいだが、写真には写らない空気感が何か違う。大地におおらかさがあり、大地の恵みが我々を癒してくれる。自然のありがたみとはこういうことだろう。
 ドライブも楽しかったが食べ物も良かった。小樽の寿司、札幌のジンギスカン、空港内で食べた札幌有名店のラーメン、美瑛で食べたジャガイモとメロン。などなど一通りの食を楽しんできたが、特に圧巻は札幌でのジンギスカンであった。ホテルのボーイさんに聞いて訪ねた、地元推薦の店“だるま支店”。これまでジンギスカンを食べたことがなかったので、比較はできないが、これほどマトン(ラムでなくマトンらしい)の焼肉が甘くて、臭みがなく美味しいとは知らなかった。ここのメニューは1種類のジンギスカンしかない。席にすわるといきなりたまねぎが炭火上の焼きなべに乗せられる。後は自分で肉を焼くだけだ。仕事帰りのサラリーマンなど地元の人で混んでいる。最初の一口でまいってしまった。旨い。予想外の旨さでこんな甘い焼肉食べたことがない。クセもなく硬くもなくしつこさもなく、サクサク口に入る。それでビールとご飯も食べて二人で2500円。店を探すのに苦労はしたものの、食後の満足感は最高。この日の長距離ドライブの疲れもふっとんでしまった。小樽の寿司屋も地元の魚屋で教えてもらった店に行ったので、価格も手ごろで、味もすべてのネタが旨く、これもあっさり口に入った。北海道は旨い。
 さて今回の旅が楽しめたのは、レンタカーについていたカーナビのお陰であった。詳細地図は持たず、すべてカーナビを頼りにいろいろ出かけたが、経路探索のソフトがすばらしく、まったく道に迷うこともなく、予想到着時間もほぼ正確で、今回の旅を楽しませてくれた。道に迷い予定の行動が出来なくなると旅の楽しみも半減するし、まったく土地勘のない北海道では不安になる。今回は完璧なナビゲーターであった。このナビはF社製であった。私が使っているナビより使いやすいし、頭が良い。今までナビを信用していなっかたが今回は脱帽。私のナビは指示された道をちょっとはずれると発狂してしまう。何とかならないものか。




富良野の大地です。ラベンダーの最盛期は7月下旬だそうで、この時期まだ早すぎました。この大地の大らかさは普段味わえない素晴らしいものでした。また行ってみたい所です。








2006年7月2日
<旧友との再会>

 このところ旧友との再会が続いている。6月半ばの9日間に中学の友人、高校のクラス会、会社の先輩方と飲む機会が続いている。50歳の半ばにもなると昔が懐かしく思えるようになり、このように昔の仲間に会いたくなるものである。また現在の仕事は趣味の延長の個人事業なので、会社からのストレスもなく、大変自由の身(?)で会話ができ、気楽に楽しめる。なかには40年近く話しをしていなかった友人に再会でき、これまでそれぞれ違った人生を歩んできたなかで、昔の話をするのもまたおもしろい。お互い昔の顔、表情を少しだけは残しているが、その後の人生で顔も体形も変わってくる。ただ性格はあまり変わらないかもしれない。私の場合はどうも昔からのんびりした性格だったらしい。子供の頃からあまりあせらず、昔から「どうにか成るさ」の性格だったらしい。これは今も変わっていない。本人にとって歩んできた道というのは、自分が好きで、自分で決めてきた道であるのである程度必然的であったと考えるが、子供のときの友人にとっては、他人のその後の人生というのは以外と想像できないものである。私の場合でも私がエンジニアになるとは思いもしなかったと言われたし、逆に友人のその後の人生も昔には考えられなかったこともある。
人生を歩むなかである時間、気持ちを共有する仲間があり、そのときの影響で少しずつその人の道が開け、それを歩んできているように感じている。もしこのような仲間がいなかったら、何もできず、何も影響されず、何も決められなかったであろう。人間は一人では成長せず、誰かの影響を受けたり、教わったりしながら大きく成長していく。だから人間はあるときには、時間、環境を共有して何かをすることが意味のあることと思う。私の場合もこれらの仲間がいなかったら、人生はまた違っていたであろう。
 そんなことを考えてみると、年齢を重ねると昔の仲間に会いたくなるのは、自分の人生の復習をしているのではと思えてきた。あの時、あいつに会ったからオーディオが好きになったとか、会社では上司、先輩から仕事をもらい、結果その後の進路が変わったとか、あの時の出会いが、今思えば影響されたなあと感じながら復習しているように思われる。人生はこれで終わった訳ではないので、これからも新しい友人に出会うことだろう。これから新しい友達ができ、その人から影響を受けまた私の進路が変わるかもしれない。まだ楽しみはある。


昨年いただいたコチョウランが今年もまた咲きました。鉢はなくミズコケに包まっただけの花ですが、水を切らさない様に水やりをしたらまた咲いてくれました。この生命力には驚かされます。






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