オーダーメイド手造り真空管アンプの店
 
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 <2018年を振り返って>
 2018年12月21日 

あと10日程で今年も終わる。近年歳月の過ぎる速さが増してきていてこの1年もあっという間に過ぎる感じだ。先日友人が歳月の速さは年齢に反比例すると言っていた。だから僕の時間スピードは若者の2倍、3倍のスピードで過ぎているのだろう。
 こんなスピードで時間が過ぎるものだから時間をうまく使うことが次第に難しくなってくる。何かしようと計画している間に数か月が過ぎてしまい、今年は家の用事がいろいろあったこともあり、僕の肝心のオーディオについては何もできずに終わってしまった。
 このコラムについても最近はオーディオの話題が少なくなってきたのはそのせいで、ちょっと申し訳ないと思いながらもなにかしら字を埋めてきたのが実情だ。
 今年の初めはKT66バランス型CSPPドライブパワーアンプのレポートを書きあげ、何とか雑誌に載せてもらおうと原稿は提出したものの、僕の努力も空しくその後この原稿を取り上げてくれるようすがない。ちょっと残念だが他力本願なことなので仕方がない。そこで来年にはこのサイトでこのアンプの技術レポートを載せることにした。アンプの特長はKT66ppUL)バランス型パワーアンプで、入出力、増幅回路がバランスアンプになっている。またKT66のドライブ方法としてCSPP回路を用いて全段pp動作を実現している。このドライブ方法はまだ誰もトライしたことがない世界初のドライブ方法だ。ここはAB2クラスを狙ったドライブではなく低インピーダンスで出力管をドライブすることを狙ったものだ。音質的にも優れていると感じているので乞うご期待。
 今はこの更に上のアンプをKT88で設計している。電源回路をもっと強力にして音を確かめてみたいと思っている。来年中にはこれも完成させたいと今の希望である。

今年もこのコラムを読んでいただいてありがとうございました。
 来年はこのコラム、少し書く頻度を下げて月2度程度、各月の1日、16日にコラムをアップする日に変更させていただきます。技術レポートは出来上がり次第公開する予定です。
 来年もよろしくお願いいたします。


 
 <免疫の意味論>
 2018年12月11日 

今年のノーベル賞は日本人では本庶佑教授が受賞された。このコラムが公開されるころには授賞式が行われる。9月のノーベル賞発表の記事を読んで以来ちょっと免疫のことに興味が湧き、多田富雄 著「免疫の意味論」(1993年発行)という本を読んでみた。この本はもともと科学エッセイとして書かれたものだが、大佛次郎賞という文学賞を受賞されたものだ。分かりやすく書かれているとはいうものの、素人には内容のイメージが湧きにくく僕は2度読み返してやっと少し理解した程度だ。
 さて普段免疫など考えていないわけだが、この本の最初の方に<自己><非自己>というのが出てきて、自己というのは脳で考えているかと思ったら、精神的にはそうだが身体的には免疫が自己・非自己を判断しているという。最初から面白い話になっている。免疫は非自己と判断すると容赦なく攻撃するらしい。だからウイルスとか細菌とか癌細胞とか本来自己にはないものに対して(非自己)攻撃し身体を正常に保ってくれる。しかしときどき間違いをおこし自己に対して攻撃することもありそれが喘息などを発症しているということだ。免疫はリンパ球や白血球などあり、リンパ球にはB細胞、T細胞などがある。
 面白いのはこれらの細胞はすべて骨髄幹細胞という同じ組織から生まれたもので、それらがいろいろ変化してこれらの免疫細胞を作っているらしい。またウイルスや癌細胞などを攻撃する主なリンパはT細胞といわれるもので、それは幹細胞が胸腺というところをとおしてつくられるそうだ。この胸腺というのがまた面白い。胸腺は10歳くらいまでは成長するがその後成長せず縮小しまた機能も衰えてくる。すなわち免疫力は10歳までは強力だがその後次第に衰えてくる。40歳くらいになるとその能力は10歳くらいに比べ1000分の1程度まで落ちるそうだ。さらに歳を重ねればもっと免疫力が落ちるのはいうまでもない。だから年寄りが病気にかかりやすく、直りにくいのも胸腺の能力と関係している。人間の老化というには胸腺の能力と大いに関係しているらしい。
 僕はそこで胸腺をiPS細胞で再生すれば人間は200歳くらいまで長生きできるのではと考えたら、その1週間後、京都大学がiPS細胞でキラーT細胞の作製に成功したという記事が出た。彼らは胸腺ではなくいきなりT細胞を作ってしまった。人間歳をとるとT細胞が少なくなるからiPS細胞でT細部を増やし、本庶教授が開発したオプジーボと組みあわえて癌の免疫治療に役立てる目的だそうだ。
 本庶教授はつい先日ノーベル賞の記念講演を行ない、2030年ころには癌は不治の病ではなくなると発表したらしい。免疫についてはここ数十年でかなりの進歩があるらしく、彼の頭のなかには免疫療法での癌の治療はかなり発展していくと思っているのだろう。おそらくiPS細部も使われるに違いなく、日本人二人の功績が癌の治療に今後大いに役立つことが期待されると思っている。


 
 <筋肉痛>
 2018年12月1日 

101日のコラムで<筋膜リリース>というものを書いた。僕はここ数年左太腿の筋肉痛に悩まされていて、その治療法として筋膜リリースをしてみようという内容だった。今回はその後の様子を書いてみたい。
 左太腿の筋膜リリースの処置をしばらくしてみたが、しばらくは良くなった気がしたが痛みが確実に減少しているという実感は得られなかった。それにこの治療法は僕の自己流のやり方であるので心配な面があった。そこで今度は一度別の整形外科でセカンドオピニオンを聞きたくて別の診療に行ってみた。こんどは総合病院の整形外科である。ここなら何とか別の診断、原因が得られるのではと期待したが、結果は前と同じで痛みの原因は分からず治療もなし、今回は湿布薬だけは出してもらった。
 僕は困ってしまったここ数年太腿の痛みが実際あるのに、2つの医院では原因は分からず手当、治療もしてくれないということになってしまった。僕の太腿の痛みは完全に見放されてしまったのだ。
 そこでもうここからは自分で直さないといけないと決心をした。僕は考えた。以前肉離れを起こしたとき、治療というものはなくただ安静にして自然に直すというものだったし、女房が指の腱を痛めた時も固定するだけ、一般に骨折も固定するだけだ。すなわち整形外科の治療というのは何もせず、自分の治癒力に任せた方が良いというものだと考えた。
 それからはマッサージ・ストレッチ・筋膜リリース・スクワット運動など太腿の筋肉を動かすことはすべて止め、自然治癒力に任せた方法をとることにした。筋肉の痛みというのは筋肉が疲労していてそれを修復する時に出るものらしい。そして筋肉の修復にはアミノ酸を必要としているらしかった。そこで市販されている必須アミノ酸が含まれているアミノバイタルという補助食品を摂取しながら回復を待つことをしてみた。
 その結果1週間位過ぎてから次第に太腿の痛みが消えてきた。太腿全体に痛みがあったものがだんだん減り、外側だけの痛みに減少していった。そしてそれまで歩行している時階段なので急な痛みがあったものがなくなってきた。今では一番痛かった時に比べ、9割減近くまで痛みが減少し、股関節の動きも楽になった気がする。ただ最初は効果が大きかったが、今はその効果がゆっくりになってまだ完全復活にまでには至っていないが、今後も気長にこの方法をとれば直るような気がしてきた。

 今回、筋肉痛に対する治療は次のことが分った。
 筋肉が痛いときは動かさないのがよい。マッサージなどでは治らない。
 筋肉痛を直すのは自然治癒力が一番。治癒力を上げるためにアミノ酸接種が効果あるように思う。ただこれは僕の個人的意見で裏つけはなし。
 医者に見放され、3年近く悩まされてきた左太腿の筋肉痛に光明がさしてきた。
 この方法が正しいかどうかに責任は持てないが、参考にどうぞ。


 
 <2018東京インターナショナルオーディオショウ>
 2018年11月21日 

例年通り東京インターナショナルオーディオショウを観てきた。観るというより聴いてきたというのが正しいのだが、それほど熱心に聴き込むことはしてなく、何か高級オーディオの世界に浸りに行ってきたという感じだ。この時期いつも一人でプラっと行って、会場近くにある中華・小洞天でお昼を食べ、そして高級オーディオの世界に浸るというコースを毎年続けている。昨年は小洞天でのお昼は偶然にも評論家の小原さんと相席でお昼を食べた。ただ僕は当然知り合いでもないし声をかけることはなかったが、評論家の先生も小洞天でお昼というのがコースになっているようだ。話はちょっと逸れるが小原さんは京急電車でも偶然隣に立っていたこともあり、偶然は重なるものだ。
 さて、耳の肥やしに高級機での音楽を聴きに行っているようなものだから購入目的ではない。前にも書いたがこのショウで展示されるオーディオ製品はあまりにも高くて、僕には到底手を出せるものではない。百万円単位の製品が売られていてこんな製品を買う人が世の中にはいるんだという思いがいつもしている。
 昔日本がまだ貧乏な時代、同じようなことがあった。高級オーディオといえばマランツとかマッキントッシュとか、JBL、タンノイとか僕が学生の時などまったく手が出せない海外オーディオ製品があって、ただ指をくわえて眺めていた。でも指をくわえながらも自作という道を歩み、お金のないところは自分の労力で何とかついていこうという気持ちがあって、雑誌などにもいろいろな回路が掲載され安くて良い音をアマチュアが目指していた時代があった。現代ではまた高級オーディオが出てきたが、それに対抗するアマチュアイズムのオーディオ制作は大分廃れてしまい、高級オーディオを買うか諦めるかの選択になってしまったように思う。
 これは時代の流れというものが大きく影響している。多分今の学生さんはデジタルが主でアナログの文献を読んだり、実験したりする機会が非常に少ないように思う。今の実情は知らないがやはりデジタル・ソフトが主で、アナログに興味を持つ機会が少ないから自分でアナログ回路を試してみようという機運が生まれないように思う。独力でアナログ回路を勉強するには大変な労力がいるし、ソフトウエアの方が作って試すことが簡単にできるからどうしてもソフトの方に流れてしまう。日本の将来にとってはデジタルを強化する方が重要だから仕方が無いことだ。
 僕の場合アナログとデジタルの端境期に仕事をしていたので両方を経験することができたのがある意味ラッキーだった。今の若者は自分でアナログに手が出せないものだから、自作オーディオはあきらめ、比較的購入し易いヘッドフォーンオーディオに流れているのだろう。オーディオビジネスが非常に偏ってしまって今の若者向けになっていないのがかわいそうな気がする。


 
 <日本の音楽>
 2018年11月11日 

今回はちょっと変わったタイトルで書いてみる。僕は普段作業をしているときは、小さなラジオでFMNHKを聴いている。民放は英語まじりのDJで新しい音楽をかけてくれるが、僕は最近の歌は知らないので面白くない。しかしNHKだと昔の歌謡曲などもかけてくれるので楽しく聴ける。歌謡曲を聴きながら半田付けというのは最高の時間に思える。
 非常に狭い範囲しか最近の日本の音楽しか聴いていないのだが、不思議に思うことがたくさんあるので書いてみたい。

 ・最近は歌手のことをアーティストと呼ぶ。
 ・最近は曲のことを楽曲という。
 ・最近の曲にはサビというものがない
 ・最近の詩には情景の描写がなく、自分の意見、考えを言っているのが多い。
 ・震災以降、好まれる楽曲は勇気と元気をもらうのがいいらしい。

僕の偏見と独善で見るとこんな感じになる。
 昔の曲はプロの作曲家、作詞家というものがいて、商業主義と言われるかもしれないが、それなりの素人にはまねできないプロの作品があり、メロディーにしても歌詞にしても心に響く曲があった。しかし良くは知らないが、最近は自作自演の曲が多いようで、そこらあたりから上に述べたような現象が現れているように思える。
 3番目の曲にサビがないという感想をもらしたのは、有名な思想家のご意見で僕も同意する。好きな曲を自分ですべて作ったほうがより相手に伝わるということだろうが、本当にそうだろうか。ある部分はその道のプロにまかせたほうが良い場合もある。
 4番目の勇気・元気は震災以降流行語になっている。歌から勇気・元気をもらうのを否定しないが、涙をさそう曲もあってよい。そこにはこころを震えさせるメロディー、詩が必要だが。

こういうことを書く自体僕が歳をとってきた証拠かもしれない。こういう僕も昔は不良の歌のように言われていたビートルズの曲に熱狂していたのだから。
 今聴けばビートルズもおとなしいいい曲と思えるほど音楽の環境も変わっているから仕方がないことなのか。


 
 <ゴールドベルグ変奏曲>
 2018年11月1日 

先日NHKの「らららクラシック」という番組で表題の<ゴールドベルグ変奏曲>をテーマにしたが番組が放送された。<ゴールドベルグ変奏曲>というのはグレングールドの演奏が有名で僕も恐らく百回以上は聴いているだろう。このバッハの曲はいろいろ凝った作りをしていて、僕にはその内容の理解が難しく、またピアニストにとってももっと高い次元での曲の理解も難しいものらしい。今回の放送で僕にとっての曲の理解が少し前進したかんじだ。何が理解できたかと言えば、全体の構成がこうなっていますよという初歩の理解だが、これまではまったく分かっていなかったことに比べて少し理解できた。
 まず全体の構成は最初にアリアという32小節のテーマ曲があって、その後これに変化をつけた変奏曲が30曲続き最後にまたアリアになり曲が終わる。この曲におけるテーマ部はバス部の旋律で、これを主題にして30曲の変奏曲がつくられている。さらに複雑なのは第369、・・・変奏曲など3の倍数の変奏曲はカノン形式で作られている。カノンというのはネットの説明によると「複数の声部が同じ旋律を異なる時点からそれぞれ開始して演奏する様式の曲を指す」と書いてある。僕らの言葉でいえば輪唱の形式をとっている形をいう。さらに「カノンの各声部が同じ旋律を異なる音程で初めても良くそれを声部間の音程差をもって「2度のカノン」、「3度のカノン」という」らしい。ゴールドベルグ変奏曲の場合、第3変奏曲は「1度のカノン」第6は「2度のカノン」、第9は「3度のカノン」・・・というように次第に音程差をつけたカノンになっているにも関わらず、曲として違和感なく作られているという巧妙な作りになっているようだ。この曲の特長はこれだけではなく、小節の構成や曲の構成もいろいろ凝った作りになっているようだが、僕にはそこまで理解できていない。 

 僕が初めてCDプレーヤーを買ったのは1980年代の前半だったが確かCDP-302ESだったように思う。CDプレーヤーは買ったがCDがない。そこで当時SONYからクラシック曲50枚のCDがセットで安く発売されていて、そこにグレングールドの「ゴールドベルグ変奏曲」(1981年録音)があった。初めて聴いてただびっくりした。最初のアリアが終わり第1変奏曲の最初の音がびっくりするようなアタックの強い音で、びっくりしてボリュームを下げた記憶がある。曲にビート感があり、体が揺すられるテンポで楽しく聴けた。その後この演奏が名演だということが分かり、ずっとこのCDを聴いている。ただこのCD最初ころのCDのためか、それぞれの変奏曲にフラグ(?)がなく任意の曲に飛ぶことができない作りになっているので(全体で1曲)何曲目の変奏曲かが分からない欠点があり、今回のような曲の分析に使うのは不向きなディスクになっている。(きっと現在発売されているCDは直っていると思うが)
 そういえば「ゴールドベルグ」という言葉は何か崇高な意味があるかと思っていたら、この曲をバッハの奥さんのために弾いたチェンバロ奏者の名前とはちょっと肩透かしだった。
 また調べてみたらSACDもあるようなのでそれを買ってみたいと思っている。


 
 <のれん分け>
 2018年10月21日 

僕はどちらかと言うと甘党だ。お酒はそれ程多くは飲めず食事時にちょっとあればよい。飲み会のはしごが苦手で、2次会でコーヒーや甘いものだったら付き合える程度の酒量なのだ。だからどちらかというと甘いもののほうが好きになるが、だからと言って女性のようにいつも甘いものというわけにはいかない。
 ときどき女房がケーキやお菓子類を買ってくる。それを家で食べ次第に僕にも東京の名店というものを覚えてくる。そして秋葉原に行けば<うさぎ屋>の「どら焼き」を自分で買ってくるようになってくる。ところがここ数年の情報で、東京の名店には2店以上ののれん分けされた店があることが分かってきた。例えば<うさぎ屋>は上野だけかと思いきや日本橋にも<うさぎ屋>があり、ここでも「どら焼き」を売っている。どちらも「どら焼き」を名物として販売しているから、昔は何らかのつながりがあり今に至っているように思う。
 2例目は<小川軒>の「レーズンウイッチ」。これは普段新橋で買っていたのだが、先月鎌倉に行ったら<鎌倉 小川軒>があり、ここでも「レーズンウイッチ」が売られていた。そこの店員さんに聞いたら<代官山 小川軒>からのれん分けして鎌倉にお店を開いているとのこと。さらにネットで調べてみると御茶ノ水にも<小川軒>がありここでも「レーズンウイッチ」が代表的なお菓子となっている。まとめると<小川軒>は都内に3軒、鎌倉に1軒ありそれぞれ独自に「レーズンウイッチ」を作り販売しているとのこと。これをしらないと地方から「レーズンウイッチ」を買いにきたら間違って違う味の「レーズンウイッチ」を買ってしまうかもしれない。
 3例目は「アンパン」。銀座には有名な<木村屋>というパン屋さんがある。いつもそこは外人客も多く、いつも満員でお店は賑わっている。「アンパン」が有名だ。ところが築地にも<木村屋>があり「アンパン」をメインに売っていた。そこでも店員さんに聞いてみたら、銀座のお店ののれん分けとのこと。
 こんなことはきっと他でも例はたくさんあるだろう。昔の人はおいしいお菓子ができたら独り占めしないでのれん分けして、永く商売が続くように考えたかもしれない。単純によくある仲間割れによる商売の分裂だけではないような気がする。きっと何かの知恵がそこに働いていたと思う。そうでないとこのように多くの例を見ることはないと思うが。
 ところでオーディオでものれん分けみたいな事例もある。その例が<上杉研究所>ではないかと思っている。数年前この会社の創立者の上杉佳郎氏が亡くなられてからは、会社は神奈川県に移り、設計・経営も別の人に移ったが、会社名や製品のフィロソフィーみたいなものはそのままで引きつがれ新しい製品を供給してくれている。のれん分けとはちょっと意味が異なるかもしれないが、のれんはそのまま引継がれている。
 オーディオのブランドはたくさん生まれるが長続きせずそのうちに消えてしまう。特に小さなブランドほどその傾向が強い。<上杉研究所>のように後を継ぐ人間が現れてくれればブランドは生き続けられるが、お菓子のようには上手くいかないのだろうか。


 
<新規設計> 
 2018年10月11日 

僕は長い間6550ppUL)アンプを使用している。最初に設計したのがもう20年以上前のことで、それを改良に改良を重ねて使用し続けている。今の回路は最初の面影は少なく真空管、トランス、シャーシーは最初のままなのだが、中身は大分変わってきている。それも回路図無しで変更しているものだから、中身をみないとどう変更しているかも分からない。大体の回路はわかるが、数値までは思い出せない。何故そうなったかといえば、このアンプはほとんど実験機でまずはこのアンプで実験をしてその効果を確かめ、その後お客様のアンプに反映していった経緯があるからだ。これまでリップルフィルター、ソフトスタート回路、FET定電圧電源、グランド配線の実験、出力管カソード抵抗の実験、出力インピーダンスの考察、バランス回路などさまざまな実験をこのアンプをとおしてしてきた。それが今日のパワーアンプ設計のノウハウとなっている。今はもうお客様用のアンプを作っていないから6550アンプでの回路実験をすることが少なくなった。しかし僕の頭はまだ真空管アンプのことを考えているのでまだこのアンプを使って実験をしてみたい欲求は続いている。
 最近このアンプを全面改良してみようとの思いに至った。前回設計したバランス型CSPPドライブKT66pp(UL)パワーアンプの性能、音質が良いものだから思い切ってKT88で再設計してみようと思っている。ほぼ回路図はでき、その後シャーシーレイアウト設計をしている。まだきれいに収まってなく、CAD上で試行錯誤している状態だ。ただこのアンプを作る前にCSPPドライブの効果を知るための実験をしてみたいと思っている。CSPPドライブKT66アンプの音がすばらしいからこれがどこからきているのかを確かめたいからだが、それが簡単に分かれば苦労はないが、今はそれを確かめる実験方法についてはアイデアがあるのでまずはそれで確かめてみたいと思っている。年齢とともに出足が鈍くなり、重いアンプの測定をするまでに気持ちが至っていないのが今の状況だ。
 アイデアはいつも正解とはならない。ほとんどがうまくいかない。今回の実験でも思ったとおりにことが運ぶかは分からない。ただこういうことをしているといつか何かをみつけることができる。
 知力の無さは根気でカバーしていきたいのだが、今はそれもむずかしくなってきている。


 
 <筋膜リリース>
 2018年10月1日 

今回はちょっと変わったお話。年とともに身体に変調がきたす。僕の場合今は左ふとももの筋肉痛だ。ここ数年太腿に痛みがあって歩く時にも左股関節あたりがスッキリしない。歩いていると大腿四頭筋といわれるところが痛くなってくることがある。特に外側の筋肉が痛くなってくる。何故こんな痛みが出てきたのかは分からない。気が付いたらいつの間にか痛くなってきた。もちろん整形外科に2度も行って診察してもらったが、直らないし痛みの原因が分からない。レントゲンで股関節を見てもらっているが特に異常はないという。それに普段は痛みがないものだから、先生がテストする足の動きや筋力の測定でも何の異常が発見されないものだから、処置もせず薬もくれないありさまだ。そんな訳だから整形外科の次は鍼灸医院にもお世話になった。確かにマッサージやお灸をしてもらうとその時は筋肉が軽くなって調子がよくなるが、そのうちにまた元に戻り調子が悪くなってくる。こんな状態が続いている。
 ところで僕は毎週土曜日の午前はテニスをしている。正確にはテニススクールに通っている。約2時間のレッスンだ。かれこれ25年以上このスクールに通っているからもう生活の一部になっている。それではテニスの時は太腿はどうなっているかと言えば、これはそれ程大きな影響は出ていない。テーピングとサポーターの助けを借りるが、その処置をしておけば何とかテニススクールのレッスンにはついていけるから不思議だ。ただし予想された動きの時は良いのだが、予想されない不規則な動きの時に太腿にピっとした痛みが来るときもある。だから頑張らないテニスをしておけば大丈夫なのだ。
 こんな身体の状態で、ある時サイトを覗いていたら筋膜リリースというある種のストレッチみたいな身体のメンテナンス法があることが書かれていた。筋肉の痛みは筋肉の周りにある筋膜をほぐすことにより直ると書いてあった。この筋膜リリースは多くのスポーツ選手が行っていて、ケガの予防につながっているとのことだった。更に詳しいことが知りたくなり本も買ってみた。筋肉の痛みは筋膜がねじれたり、シワが寄ったりして柔軟性がなくなり血流が悪くなることから引き起こされると書いてあった。そこでサイトや本に書かれてある筋膜リリースの仕方を実際やってみた。我が家にはストレッチポールという器具もあり、それを使ってリリースができる。やり方は筋肉を少し張った状態でそこに点でなく面で圧迫するというもの。揉むのではなく面で押す感じ。これをしてみたら実際痛い左太腿は圧迫すると飛び上がるほど痛く、痛くない右太腿はそれほど痛くない。この大きな差が僕にはありがたい発見だった。これまで何が左右の太腿の差なのかが分からなかったが、実際この筋膜リリースでは痛みの差が出ていてこれが大発見だった。これは僕がアンプなどの不具合を修理するときのロジックと同じだ。不具合があるときどういう状態のときその異常が現れるかがわかれば修理は簡単だ。その悪くなる条件を探すのが難しいのだ。筋肉通は筋膜リリースでその差が現れるのだ。
 このトレーニングで本当に治るのだろうか。楽しみと不安と。


 
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