手造り真空管アンプの店




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店主コラム 2006年10月分〜12月分


2006年12月21日

<Minuet(メヌエット)のデモ>
 12月2日、3日の2日間の夕方、地元の自家焙煎コーヒーとカレーの店<アステカ>さんとのコラボレーションでMinuet(メヌエット)を使った<真空管アンプで聴くジャズの夕べ>を開催した。アステカさんは横浜・能見台駅直ぐそばにある好立地のお店で、また長く商いをされていてお得意様も多く、私にとってはまたとない機会であった。今回の真空管アンプのデモは私がMinuet(メヌエット)とCDプレーヤーを持参し、店内のスピーカーを使ってジャズの再生が行われた。開催前に事前に音だしの実験をした。Minuetを使う効果が出るかが心配されたが、一聴してその音の向上が認識でき、Minuetを使ったこのシステムで効果があることが確認した上で、当日のデモが行われた。果たしてお客様の反応はどうか。
 2日(土)は、お店の関係者とか、私の友人でオーボエの名人のOさん、お店の常連客など、すでに真空管アンプに興味をもっている方など何人かの方といろいろオーディオ談義ができた。皆さんの音の印象では楽器の分離が良く、ベース、ドラムなどのそれぞれの楽器の音が良く分離して聴こえるとの意見が多く述べられた。これは私にとってはうれしい印象だ。このMinuetは低出力インピーダンスで音の歯切れが良く、低域のドライブ能力が優れたアンプなので、各楽器の音が交わらずそれが認識されたのはうれしい。 
3日は日曜日の夕方の為か、前日よりお客様が少なかったが、それでも2日続けて聴いてくれたお客様がいらしてこんなうれしいことはなかった。
 お店のマスターによれば、お客様からは「夕方からはこういう雰囲気は最高だね」という言葉ももらったとのことだから、お客さまには楽しんでいただけたと思う。私としても、いろいろな方に私の設計した真空管アンプを聴いていただけたのは大変ありがたい。これからも第2回、第3回と続けて真空管アンプの音を楽しんでいただきたいものだ。

 今回、私のアンプの音を聴いていただいた方には紙面で失礼ですが感謝いたします。これからも、音楽好き、オーディオ好きな方にお役に立てるように、頑張っていきたいと思う。

 今年も後僅か。皆さんにはこのコラムを読んでいただきありがとうございました。来年もまた宜しくお願いいたします。


 アステカさんでデモ中のMinuet(メヌエット)。このようなお店でのデモは初めてでしたが、アンプの音の特長が素直に出ていてホットしました。アステカさんありがとうございました。

 皆さん良いお年をお迎え下さい。






2006年12月11日
リシャール・コラス著 <遥かなる航跡>
 リシャール・コラスさん。日本のシャネル社の社長さんである。この方が今度小説を書かれた。そのタイトルが<遥かなる航跡>という小説だ。実はこのコラスさんは私のお客さまの一人なのだ。私の設計した真空管アンプを使われている。ご本人もこのアンプを気に入られ、人に会うたびに自慢していただいている。
 このような関係から、先日出版記念パーティーに出席してきた。女優さんを含む各界有名人の中に、アンプ職人の私が混じっていた格好だ。しかしこの本が書かれている推移は比較的最初から知っていて、本もゲラ刷りの物を読ませていただいている。昨年、アンプのメンテナンスでお邪魔したときに、私が作業している間、隣の部屋でパソコンに向かわれてこの小説を書かれているのを見ている。それがこの程発売された。
 ゲラ刷りを読んで、ご本人にもその感想文をお送りしているが、こんな才能があったのかと思われる位素晴らしい小説であった。ビジネス本でも、外国人が書く日本についてのエッセイでもなく、本格的な純文学である。内容はご自分の経験をベースにしてこの小説を書かれているが、昔の日本の情景が詳しく描かれていて、日本人でさえここまで鮮明に昔の情景を思い出せる人は少ないと思わせる。情景描写だけでなく、心理描写もまたすばらしい。文の構成、内容も当然素晴らしい。私は本を読み終えた後、余韻が残り、しばらくは本の世界から現実の世界に戻れない状態が続いた。こんな経験をしたのは久しぶりのことだ。女性読者の中には涙が止まらない方もいらしたようだ。作家の林真理子さんも絶賛して下さったそうだ。私の場合は、ご家族の方も幾分知っているので、登場人物を想像しながら小説のイメージを膨らませて読ませていただいた。
 それにしても、あれだけ忙しい方がよくもこれだけの小説を書く時間があったものだと、それにも感心する。才能のある方には時間は関係ないのだろう。ご本人の言葉を借りれば、ある日一気にすべてのストーリーが頭の中で出来たそうである。
 皆さんの中でもご興味がありましたら、この本読んでみて下さい。感動します。
私はリリーフランキーの東京タワーよりずっと良かったと思っています。 



写真の本がリシャール・コラス著<遥かなる航跡>です。
私は筆者の家族愛がよく出ていると思っています。

定価:1890円(税込み)
発行:集英社インターナショナル
発売:集英社

写真の紹介です。
このHPでMinuet(メヌエット)の写真を撮って下さった中澤さんが写真コンテストで入賞しました。
So−net Photoの第2回フォトコンテストで応募作品8491点の中から見事「アスカネット賞」(第3位)に選ばれました。
こちらもご覧下さい。
やはり芸術の秋です。皆さんすごい!


http://www.so-net.ne.jp/photo/contest/announcement2.html





2006年12月1日
<味噌ピーの味>

 先日初めて<味噌ピー>を作ってみた。味噌ピーはご存知だろうか。ピーナッツに甘めの味噌が絡めてある料理である。酒の肴か副菜になる料理だ。スーパーなどには味噌ピーの名で売られている。これを作ってみたのである。
 私は千葉県の九十九里に近いところの生まれで、近くに八街という落花生で有名な産地があるので、小さい頃から良く食していて落花生が好物である。地元では生の落花生が入手できるので、自家製でおふくろが炒ったり、塩茹でにしたり、味噌ピーにしたりしていたのを食べていた。私が小さい頃は、冬になると落花生をあぶる網の鍋(全面網で出来て蓋もついたフライパンのような形をした道具)に生の落花生を入れ、火鉢の上で気長に炒ることが子供の仕事だった。火が強いと皮が焦げるので、炭火で中に火が通るまで気長に炒る。自家炒りピーナッツは香ばしくこれがおいしいのだ。大学生の一人暮らしのときはコタツでコーヒー、みかん、ピーナッツを食べるのが好物の一つだった。
 最近、この生の落花生が手に入ったので味噌ピーに挑戦してみたのである。特にネットでレシピを調べた訳ではないが、参考になる料理本など無いので昔おふくろが作っていたのを思い出して作ってみた。味噌は予め砂糖、みりん、水少々で照りが出るまで煮込んだ。味噌は自家製味噌と市販の味噌を混ぜて味付けした。ここは女房の担当だ。私はピーナッツを素揚げする担当をした。これが難しい。火が強すぎるとすぐに焦げる。弱すぎると豆の歯ごたえがネッチャリしてこれも美味しくない。適度な油温度と時間の加減が難しい。昔、おふくろも時々失敗していた。豆の歯ごたえがネッチャリするときがあった。通常揚げたての豆はネッチャリしているが、温度が冷えてきて豆がパリっと仕上がるが、これが上手くいかないことがある。

 さて今回どうだったか。80%の出来であった。初めて挑戦したにしては美味しい部類か。味付けは薄め、豆の歯ごたえはまあOK、市販のとは幾分照り、甘みは異なるがしつこくなくたくさん食べられる味噌ピーであった。たくさん作ったので、いつもお世話になっているラーメン屋さんにおすそ分けした。ここのご主人味噌ピーが好物であることを知っていたのでお分けしたが、初めて作った料理をおすそ分けするのは少し大胆だったかも知れない。でも横浜では自家製味噌ピーを食べられることはほとんどないだろう。自家製料理もまた真空管アンプ同様個性があるのがいい。
新しい料理の挑戦も面白いものである。

別件:
号外でお知らせしたように、この度地元の店”アステカ”さんとのコラボレーションでMinuet(メヌエット)のデモを行う。このようなデモは初めてなので、少し緊張気味であると同時に楽しみでもある。お近くの方は是非聴きに来て下さい。




2006年11月27日
<号外・Minuet試聴デモします>
 今回は連絡事項です。
Minuet(メヌエット)のデモを行うことになりました。地元・横浜能見台の”自家焙煎コーヒーとカレーの店 アステカ”さんとのコラボレーションで<真空管アンプで聴くジャズの夕べ>を開催します。

日時:12月2日、3日の2日間 17時から19時まで
場所:能見台  ”自家焙煎コーヒーとカレーの店 アステカ”

内容はMinuetを使ってジャズCDの再生をします。ご興味がある方は是非聴きに来て下さい。お待ちしております。

トップページに関連記事掲載しています。

アステカさんへのアクセスはリンクページを参照して下さい。



2006年11月21日

<Jake Shimabukuro>
 今、ジェイク・シマブクロの演奏<Gentry Weeps>を聴きながらこのコラムを書いている。彼はハワイ生まれの日系4世のウクレレ奏者だ。演奏はフラダンスを連想させる、ゆったりとしたものでなく、もっとアグレッシブなロックギター顔負けの超絶技巧の演奏者である。TVの<誰でもピカソ>に出演したのを見て、CDを買ってみた。タイトルが私の好きなジョージハリソンの<While My Guitar Gentry Weeps>から取ったのも気に入り、購入した。さてこのCDの出来はどうなのだろうか。私はCDを購入し、最初に音を出すときがワクワクして楽しいときだ。これからどんな演奏を聞かせてくれるのか。どんな驚きが待っているのか、音楽を聴く楽しみを感じる瞬間だ。
 このCDの中で私が気にいった曲は<While My Guitar Gentry Weeps><Spain>だった。これらの曲は知っていて、ウクレレによる演奏・編曲の素晴らしさが実感でき良かった。他の曲では<Let’s Dance><The Star-Spangled Banner>が印象的だ。前者はスパニッシュギターを連想させる演奏だし、後者はアメリカ国家なのだがアレンジがよかった。これまで聴いたことのないウクレレサウンドであることは確かである。あの2オクターブ程度の楽器でこれほどいろいろな表現がよく出来るものだと感心しながら聞き入った。
 彼は耳でいろいろな楽器の演奏・曲を聴き、それをウクレレで同じように表現出来ないかと、努力し今のスタイルを作ったそうだ。我々が普段聴く、ハワイアンとはまったく一線を画す演奏スタイルである。以前、ジプシー音楽を演奏するバイオリンニストのラカトシュの演奏を始めて聴いたとき、その演奏の表現力に驚いたが、久しぶりに今回その新鮮な演奏スタイルを楽しめさせてくれた。
 今回1枚のCDしか聴いていないが、もっと違うスタイルの編曲を聴いてみたい。ウクレレの表現力の殻をもっと破ったものを聴いてみたい。表現・リズム感・力強さ・テクニックなど申し分なく今後が期待できるミュージッシャンではないだろうか。


Jake ShimabukuroのCD<Gentry Weeps>のジャケット。
彼のウクレレはロックギター、スパニッシュギター、カントリーギターなどに変身する。参考になるウクレレ演奏が他にないため、耳で聴いてウクレレ用に編曲するそうだ。この独自性がすばらしい。





2006年11月11日
<葛飾北斎V>

 11月3日にまた葛飾北斎の芸術を堪能してきた。今回は江戸東京博物館で開催されているボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 「江戸の誘惑」を見学してきた。これはアメリカボストン美術館が所蔵する約55,000点の浮世絵コレクションのなかから、江戸時代を代表する肉筆浮世絵80点余りを展示したものである。今回のおもしろい点はこれらが版画ではなく、すべて肉筆画であるところである。作者は北斎、歌麿、広重、春信など江戸時代の浮世絵師の作品が展示されている。
 印象としてこの時代の絵であるが、色が退色せずきれいな色彩を残しており、色使い、細部の描画など十分見ることが出来た。私が強く惹きつけられるのはやはり葛飾北斎である。ひいき目かもしれないが、絵のうまさ、構図など他の作者を圧倒する出来具合である。まったく数段上手さが違う。ひと目見て、描かれている人物に動きが感じられるし、色彩もまったく異なる。まったく天才肌の画家の印象だった。
 浮世絵の美人画というのは遊女や芸者がモデルになっている。この時代の遊女というのは大変人気がありファッションも当時最先端だったらしい。今の時代で言えばエビちゃんに人気があるのと同じようなものだったと想像して見ていた。(エビちゃんは遊女ではないが)
 このコラムで何度か北斎について書いてきたので、今更そのすばらしさをあえて書かないが、このコラムを読んでいる方でもしご興味があるのなら、この展覧会を是非見学されることをお薦めする。これらの作品は明治時代にアメリカ人の医師により買い取られ、110年ぶりの里帰りらしい。恐らく私が生きている間には今後これらの絵画を2度と見ることはないだろう。12月10日まで江戸東京博物館(両国)で開催されている。



Minuetの技術説明を追加しました。

技術説明はこちら




2006年11月1日
<聴能力と音質試験>
 以前このコラムで聴能力について書いたことがある。音楽信号の波形を見ると一本の線だが、耳で聴くと色々な音を分離し分析的に聴いている。すなわち声や楽器やメロディーなどを分離しそれぞれの音を分析しながら聴いている。この能力があるから会話ができ、音楽が楽しめる訳だ。この耳の能力は良く考えてみると素晴らしい能力だ。例えば音声認識というものも最近はかなりレベルが上がってきているが、人との会話ばかりでなく、音楽の楽しみ、虫、鳥の鳴き声を楽しむ能力などまだコンピューターではとうてい追いつかない能力が耳にはある。最近思うのだがこの分析的に認識する聴能力が大変厳しい音質評価装置になっているように感じている。
 アンプを設計すると電気信号を使って測定する。この時普通単信号を使用する。音楽信号は複雑な信号が混じっているが、今の機械では多くの信号を同時に計れないため、単信号を使ってアンプの能力を評価するしかない。ところが人間の聴能力というのは歪、ノイズなど色々な信号が混じっていてもそれらを分離して認識できる。すなわち歪などを分析し、例えばシンバルの音が歪っぽいとか、ボーカルの子音がきついとか、ベースの音に伸びがないとか、信号波形は1本の線だが、そこに混じっている音をある楽器などに付帯する音として認識してしまう。これらの評価が正しいかどうかは別にして、測定器では到底できない歪分析をリアルタイムで行ってしまう。だからどうしてもこの聴能力が機械を上回る音質評価となってしまう。ただし耳の記憶というのは確かなものでは無いし、心理的な影響もあるだろうから、耳での測定の評価が曖昧になってしまう。ここらが音の評価が難しいところだ。
 雑誌などを読んでいると、電気的な測定はなしに試聴だけで製品を評価している。オーディオ製品は音を聴く機械だから試聴で評価するという理由だが、私の考えはこうだ。人間の聴能力は複雑な音を細かく分析的に理解するので今のところ測定器より優れた評価能力を持っている。これは今の測定器では出来ないので、だから耳で聴く方が厳しい評価になる。しかしこれが絶対的な評価とはならない。
 人間の聴能力があるためオーディオの評価は難しい。こんなに分析的に聴ける能力があるためアンプを作る方が苦労をしているのだ。いつか聴能力を上回る機械ができたならば音質評価も楽になるのだが。 

ドウダンツツジが紅葉してきました。
これから寒い日になっていきます。こんな時は酒でも飲んでゆったりと音楽を聴くのも良いものです。
先日発表したMinuet(メヌエット)はこんな要求にぴったりのモデルです。
どうでしょうか。








2006年10月21日

<オーディオフェア>
 この時期毎年オーディオ製品のショウがいくつか開かれる。今年もまた10月8日に<ハイエンドショウ>と<真空管オーディオフェア>を見学した。これらのショウは往年のオーディオフェアのような華々しさはなく、マニアックな小規模のショウだ。お客様の層も年配の方が多くこの業界の客層が読み取れる。出品メーカーも有限会社など小規模のメーカーもあり、また今年は昨年とは違う出品メーカーも多く見られ、ビジネスの厳しさも感じられた。私がこれらのショウを好んで見学する理由は音出しのデモを多くしてくれることだ。同じ部屋に複数の企業が順序良く音出しをしてくれる。デモをしている間は他の出展メーカーはデモをせず展示のみで順番を待っている。ここらが見学者への配慮が行き届き好ましい。各出展メーカーも新しい技術がある訳ではなく、簡単な商品の説明とデモで終始するのも面白い。私は自分の作るアンプと他の人が作るアンプの音にどのような違いがあるのか、私のアンプに特長があるのかなどを見て聴いている。
 さて今年は音について少し収穫があった。真空管アンプのデモを多く聴いたが、私の印象では多くの真空管アンプはきれいな音だが、スピーカーをドライブする力が足りないような印象であった。多くのデモが古いスピーカーを使い、やわらかい音ではあるが、音をグリップしている感じがしない。スピーカーを十分制動していない印象だ。ただ一つ違ったのが、金田式アンプを聴いた時だけだった。氏は大学の先生で、趣味が高じてアンプ製作の記事を多く書いている方だ。氏のデモは良い音とは言えなかったがスピーカーをドライブしているという意味ではかなりドライブ能力がある。こちらも古いスピーカーをやわなテーブルの上に乗せての音楽再生デモであり、部屋の影響もあるかもしれないが立体感や余韻などは感じられなく残念だ。現代スピーカーでどの程度の音を再生してくれるか聴いてみたい感じだ。とはいうものの他のアンプとは異なりスピーカーを制御することについては私の考えに近いと思われた。
 私のテーマに<聴き心地>の追求がある。車の乗り心地から作った言葉だが、車にはスペックでは表せない運転のフィーリングすなわち心地よい<乗り心地>がある。今回の音の印象を車に例えてみると、アンプにもトルクが必要という感じだ。パワーはあるが、アクセルを踏んだ時の加速感と離した時のエンジンブレーキが利かないアンプは細かい音の表現に欠しくまたエネルギーも感じられない。真空管アンプはトルク重視の設計が<聴き心地>の良い方向に向かうことを認識させられた経験であった。


<真空管オーディオフェア>、<Hi−END SHOW>、<東京インターナショナルオーディオショウ>のそれぞれの入場券。
 昨日、東京インターナショナルオーディオショウを見てきた。こちらは若い人も見られた。各ブースとも数百万円もする装置でのデモで、音は素晴らしく優劣がつけにくい。私は1/10以下の値段でこれらの音に近づけようと思っている。どこまで出来るのでしょうか。





2006年10月11日

<犬男>
 動物好きには犬好きと猫好きとに分けることがよくある。私の場合は犬好きの方だが、私の場合はちょっと違っていて犬好かれ人間のようなのだ。これまで何度か犬にからむ不思議な体験をしている。いくつか例を挙げてみよう。

 1、サラリーマン時代、駅までの通勤途中のある家の犬は私と目が合うと、塀越しに近づいてきて私に頭を撫でてもらいにくる。これが出来るのは知っている限り私と小学生の子供だけだった。

 2、 散歩していたら犬をつれたご婦人が立ち話をしていた。ある犬と目が合いそのまま通り過ぎた。数十メートル過ぎてふと視線が気になり振り向くとその犬がまだ私のことを見ていた。

 3、我が家の前の家で最近犬を飼いだした。この犬と最初に道路で会ったときこの犬は何故か私の方に勢いよく来て、私に絡まってきた。そして興奮しておしっこをもらしてしまった。今も私と視線があうと勢いよく綱をひっぱりながら興奮してじゃれにくる。

 4、義理の弟の家で留守番をすることになった。そこで昼寝をしていたらそこの犬が何故か私の頭のところに体をぴったりくっつけて一緒に寝てくれた。途中トイレに起き、また横になったらまた同じ様に添い寝をしてくれた。この犬は年に1,2度程度しか会っていない。

など他にもあるが何故か犬に好かれるらしい。だが我が家では犬は飼っていない。犬は好きだが世話する自信がないからだ。何故だか自分でも分からない。
 霊能者の江原流の言い方をすれば、私の背後には犬に好まれる誰かがいるのかもしれない。私の前世は犬を助けた何某かはたまた犬だったかもしれない。何れにせよ犬との係わり合いは自分でも面白い。動物に好かれるのは気持ちの良いものだ。
 
しかしながら犬に好かれるのも結構だが、私のアンプを気にいってくれてたくさんのお客様に好かれた方がどんなに有益であることか。

 我が家の犬。ただし動きません。
結婚時にいただいた置き物です。本物は当然かわいいと思いますが飼う自信がないので、これで良しとしています。









2006年10月1日

<高級オーディオとシューベルト>
 最近のオーディオ雑誌特にステレオサウンド誌などを読むと、ゴールドムンドを始めとして数百万円もするオーディオ機器が当たり前のようにその音質評価がされ、雑誌での賞を取ったりしている。ある評論家などは200万円もするアンプをこれは音質と比較したら安い買い物だと評している。本当にこんな高価な製品が必要なのであろうかと常々思っている。高級車が買える値段のパワーアンプにそれ程の価値があるかどうかということだが、これは貧乏人のひがみ根性以外何者でもないかもしれない。私は高級製品が悪いと言ってはいない。世の中お金持ちはたくさんいて、それなりの消費をしていただくことは良いことだから悪くない。ただ評論家達がこの高級オーディオが芸術で、これでなければオーディオ製品ではないような評論をしていることと、今はメーカーも高い製品でしか商売をしていないことに違和感を持っている。
そんな折TVでスーパーレッスンなるピアノレッスンの番組を見た。これはかなり高いレベルでのレッスンで、生徒はプロを目指す優秀な方が生徒である。このときシューベルトのピアノソナタ21番、第4楽章を練習していた。細かい譜面の読み方、音の出し方、ペダルの使い方などかなり高度のレッスンだ。その中で先生が言ったのは楽譜に書かれていないところをどう表現するかという部分で、それはシューベルトが作曲したときに心情を考えて演奏することだということだった。この曲が作曲されたときシューベルトは死ぬ数週間前のことで、病気でまたまったく貧乏していて、その気持ちを曲にぶつけて作曲していたらしい。先生がおっしゃるには自分の気持ちを曲にぶつけたのはシューベルトが始めてではないかということだった。シューベルトは冬の旅など暗い曲が多いが、私の好きな作曲家で即興曲などは4人の演奏家のCDで聞き比べしているほどだ。
 さてここで考えさせられたのが先ほどの高級オーディオとの対比だ。大作曲家と言われるシューベルトが金に困りながらも必死で曲を書き、一方、今何百万円もする製品でこの曲を聴いているこの対比にまた違和感を持った。シューベルトが音楽で本当に伝えたかったことは何だったのだろうか。また高級オーディオによる音楽再生は芸術なのだろうか。


4枚のCDはすべてシューベルトの即興曲です。左からケンプ、内田光子、ルプー、ピリスの作品です。この中で私が好きなのはピリスでしょうか。どれも名演奏なのでとやかく言える立場ではないのですが。シューベルトの曲は美しくて他にアルペジオーネソナタも好きです。








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